こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
東京在住の頃、
ネットベンチャー行政書士として開業。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。

なぜ、東京から軽井沢に移住したんですか…?
20年以上、これが一番いただいた質問でした。
毎回、いろいろ答えていたんですけど、
繰り返し、何度も、聞かれ続けてきたので、
ブログにまとめてみました。
また、軽井沢移住後に出会った
素敵なことばもシェアしたいと思います。

軽井沢追分への移住に
興味があるんだけど
なぜ、追分に移住したの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●地方移住への道 人生リスト100
●地方移住への道 環境の激変
●地方移住への道 地方で子育て
●地方移住への道 テレワーク
●地方移住への道 決め手の1つは直感
●なぜ軽井沢移住だったのか?
●軽井沢移住への道 軽井沢の教会巡り 石の教会
●軽井沢移住への道 影響を受けた人物
●軽井沢移住への道 軽井沢町の特殊性
●なぜ軽井沢の追分移住だったのか?
●軽井沢追分とは?
●軽井沢追分移住への道 定住に適していて&自然豊か
●軽井沢追分移住への道 程よい隣組ネットワーク
●軽井沢追分移住への道 住環境
●軽井沢追分移住20年の満足度
がわかります。
そこで、まずは、結論から。

後悔しない家づくりの第一歩は
家づくりに役立つ情報集め、無料で
軽井沢で出会った素敵なことば

今回の素敵なことばは、J-WAVEの
『エグザイルス』という番組で聴いたもの。
<ロバート・ハリス語録(エグザイルス J-WAVE)から引用>
作家でラジオDJのロバート・ハリス。

軽井沢移住前、1988年の開局当初から、
よ~く、J-WAVEを聴いてました。
ロバート・ハリスのことばには、
他にも、素敵なもの、『そうだよな』と
思わされるものがいくつかあるんですけど
特にこのことばは、わたしの座右の銘にも
なっているものなんです。
わたしも、どちらかと言うと、
自分の考えをよしとして、結果として、
人にも押しつけてしまうことがあった
かもしれません。悪気はないんですけど。
けれど、これって、他人の話を聞いたり、
自分の知らない世界のことを知ったりする
チャンスを逃して、結局、
自分が損をしているんだと思うんです。
だから、できるだけ傲慢さを捨て、
謙虚な気持ちで、できるだけ人やものに
接したいと…。そうは言っても、
なかなかうまくいかないんですけどね。
この素敵な言葉を含め、当時の
J-WAVE『エグザイルス』番組内の
ロバート・ハリス語録を編集したのが
この本、『ワイルドサイドを歩け』。
おすすめです。
地方移住への道

プロローグ
最近の傾向
新型コロナ禍をきっかけに
地方移住に関心を持つ人たちが増えている
というニュースをよく耳にしましたね。
ここ数年は、若い人たちが検討する機会も増え、
子育て世代の移住希望者も多くなってます。
東京の20代の1/3以上の人が、
地方移住に関心が高まっているという
調査結果もあったとか。
2007年問題
地方移住というと、かつては、定年を迎えた
シニア世代が、第二の人生をゆったりと
過ごすというイメージがありました。
2007年以降は、団塊世代が順に
定年退職を迎えたため、
第4次田舎暮らしブームもあったとか。
わが家の場合
2004年9月22日、わが家は
東京井の頭から軽井沢追分へ移住しました。
当時は、コロナ禍ではなく、
移住のとき、わたしは、まだ30代。
都心から地方へ移り住むことを、
夢や憧れで語る方は、結構、
いらっしゃいましたけど、
いざ、実行するとなると、
大変なことも盛りだくさん。
では、なぜ、地方移住への道を選んだのか…?
ちょっと、あらためて考えてみたくなりました。
地方移住への道 人生リスト100

ロバート・ハリス
移住前、1988年の開局当初から、
よ~く、J-WAVEを聴いてました。
J-WAVEのナビゲーターで
作家のロバート・ハリスの影響を受け、
いつからか、『人生リスト100』なる
自分の夢リストのようなものを作って、
ほぼ毎朝眺めることを日課の1つと
していました。そのリストの2番目に
次のようなものがありました。


カントリージェントルマンとは
これを、「田舎紳士」と訳してはいけません。
地方に住みながら
中央に目を光らせる
本当の紳士
時流に流されず
自らの考えを
身をもって実行する人のこと
<白州次郎語録から引用>
今思うと、カントリージェントルマンという
キーワードとの出会いが、
地方移住への道の第一歩になった
ような氣がします。

白洲次郎
白洲次郎をTVではじめて知り、その中で
カントリージェントルマンという生き方と
出会ったのが、はっきりと覚えていないものの、
おそらく1990年代。
白洲次郎が、居を構えた地方とは、
東京都南多摩郡鶴川村。

地方って言ったって、東京じゃないの?
と言いたくなるものの、
これは、戦前の1940年の話。
今の東京町田市とはいえ、当事は、十分、
地方であり、田舎だったのだと思います。

じゃあ、今の自分にとっての地方って、一体、どこなんだろう…?
そんなことを漠然と考え、
想いを巡らせることから、
私の地方移住への道ははじまりました。

実現可能性
人生リスト100に、
と書いた1998年頃の自分にとって、
このアイデアは、残念ながら、
実現可能性に?のつくものでもありました。
当時は、塾講師(英語)をしながら、
司法試験合格を目指して、
いわゆる司法浪人していた頃。
今のビジネス(行政書士オフィス)も起業前で、
正直、経済的にも余裕はありませんでした。
だから、地方移住はおろか、
自分の家を持つことすら、
容易ではなかったと思います。
青山散歩
そんな経済状態でも、頭の中でいろいろ考えたり、
情報収集することはできます。この頃の自分は、
・・・と思いを巡らせていました。
当時、青山散歩と称して、井の頭線で渋谷へ、
その後、宮益坂を上って青山まで散歩に出かけ、
青山ブックセンターへ。
地方移住のアンテナに引っかかった書籍を
物色して、イメージを膨らませていたのでした。
では、なぜ、地方移住への道を選んだのか…?

軽井沢移住への道

地方移住への道の中で、

なぜ地方移住をめざしたのか?
…一言で言えば、直感!
と書きました。
それでは、なぜ軽井沢移住だったのか?
2000年5月26日、東京井の頭で、
PACオフィス(行政書士)を開業した当時、
すでに、地方移住のビジョンはあったものの、

よし、将来、軽井沢に移住するぞ!
とまでは思っていませんでした。
軽井沢も候補の1つではありましたので、
おそらく、浅間山を眺めながら、自然豊かな地で、
緑、おいしい空気と水を満喫するのも悪くないな
とは思っていたでしょう。
新幹線で東京まで1時間の軽井沢ですけど、
わたしに新幹線通勤の予定はなし。
交通の便がよいのは助かるものの、
移住後、それ程、東京に出ることは
ないだろうとイメージしていました。
軽井沢、旧軽というブランドに、
強い憧れを持っていたわけでもありません。
では、なぜ、軽井沢移住への道を進んだのか?
今思うと、きっかけはいくつかありました。
軽井沢移住への道 軽井沢の教会巡り 石の教会

1999年3月、北軽井沢のホテルに宿泊し、
帰りに軽井沢の教会巡りをしていたとき、
石の教会に感動。この頃から、軽井沢に
出会いを感じはじめていたような氣がします。
2000年8月、結局、出会いを大切にし、
石の教会にて挙式。

その間、準備などで、何度か足を運びながら、
急速に軽井沢に惹かれていきました。

軽井沢追分移住への道

軽井沢移住への道の中で、

なぜ軽井沢移住をめざしたのか?
…一言で言えば、パワースポットであると感じたから
と書きました。
それでは、なぜ軽井沢の追分移住だったのか?
わが家が、軽井沢の土地探しをはじめたのは
2002年。はっきり言って、この時点では、
軽井沢の西に位置する追分に
注目していたわけではありませんでした。
もしかすると、追分をはっきりとは
認識していなかったかもしれません。
少なくとも、この時点で、軽井沢町内の
エリアの絞込みまではしていませんでした。
では、なぜ軽井沢の追分移住だったのか?
軽井沢追分とは?

追分は、中山道69次のうち
江戸から数えて20番目の宿場町。
その名は、中山道と北国街道(北陸道)との
分岐点ということに由来します。
江戸時代、浅間根腰の三宿と呼ばれた
軽井沢宿、沓掛宿(中軽井沢)、追分宿。
今は、ご存じの通り、軽井沢、中軽井沢の方が
特に経済的には栄えているものの、
昔、一番繁栄していたのは追分だったのでした。
現在、最も宿場時代の風情を偲ぶ
ことができるのも、追分。
また、民謡に多くみられる
追分節の発祥の地でもあります。

まとめ:なぜ?軽井沢移住&【軽井沢で出会った素敵なことば001】

軽井沢追分移住~カントリージェントルマンの実践記
東京・井の頭から軽井沢追分への移住は、カントリージェントルマンという生き方の実現でした。
ロバート・ハリスの『人生リスト100』や白洲次郎の生き方に影響を受け、地方移住への道を模索。子育てや環境、働き方(テレワーク)など、さまざまな視点から「都市での暮らし」に疑問を感じ、自然と「軽井沢」という場所に引き寄せられていきました。
その中でも追分は、「定住に適していて自然豊か」「隣組ネットワークが程よい」「坪単価が比較的安い」「湿気や渋滞への対策も現実的」など、移住・定住の実感値として非常にバランスの良いエリアでした。
何より、軽井沢は、わたしにとっての“パワースポット”であり、日々の生活や人とのつながりを豊かにしてくれる土地だったのです。
20年以上が経った今でも「追分を選んで本当によかった」と感じている体験が、これから地方移住を考える方へのヒントになればと思っています。

後悔しない家づくりの第一歩は
家づくりに役立つ情報集め、無料で
【おすすめ】軽井沢移住して家づくり わたしのバイブル
- 2002年10月
⇒地元不動産会社さんを訪問し、はじめての軽井沢土地探し - 2003年9月
⇒地元不動産会社さん仲介で、軽井沢に土地を購入 - 2003年11月
⇒地元の設計士さんと設計監理契約 - 2004年2月
⇒地元工務店さんと建物建築請負契約 - 2004年3月
⇒着工 - 2004年9月
⇒完成・引渡
2003年1月、青山ブックセンターで、
この本と出会い、購入。
軽井沢に移住して家づくりしていく上で、
バイブル的存在になってくれました。

軽井沢追分移住20年以上の満足度

軽井沢追分へ移住して20年以上。
あっという間でしたけど、とても満足しています。
すべてが思い通りに運んだわけではありません。
土地探し、家づくりにはじまり、移住後の仕事、
生活、子育て、地域でのお付き合い・・・
悩みや心配事もたくさんありました。
でも、それは、東京で暮らしていても
あったでしょうし、軽井沢追分移住のおかげで、
だいぶ軽くなったようにも感じてます。
わが家は、追分の村中、国道18号から
それほど離れていないものの、
おかげさまで、緑に囲まれ、自然豊か。
玄関出たら、すぐ、癒しをいただいてます。
悩みや心配事が多少あっても、
それ以上のメリットを体感できることは、
ほんと、ありがたいことだと思ってます。
詳しいことは、少しずつ書いていきますけど、
現時点の満足度は、88点くらいかな~(感謝)。
軽井沢追分を選んで本当によかった
何度目かの土地探しの際、
軽井沢駅方面から18号を追分で左折し、
林を抜けながら、信濃追分駅方面に
車で坂を下っていくとき、

おそらく
この辺に住むことになるのだな~
というインスピレーションが
ビビッ!ときたのを、今でも覚えています。
追分の今の土地と出会えたことに
感謝してます。
わが家の西隣りは定住者で、東隣りが別荘。
定住エリアと別荘地エリアのちょうど境にあり、
南には林が広がっています。
素晴らしいのは環境だけでなく、
近隣の定住の方、別荘の方をはじめ、
毎年、追分人との交流の輪が広がってます。
ありがたい。というわけで、
移住して20年以上経ちましたけど、
すっかり追分の魅力にはまってます。

軽井沢追分を選んで本当によかった!
と思ってます。
軽井沢追分移住してから今までの経過、結果を、
このブログに発表することで、
- 信州移住に関心がある方のために、
- 軽井沢追分移住に興味のある方のために、
- そして、自分と家族のために、
何かお役に立てればうれしいです。

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