こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
1994年、偶然、白洲次郎をTVで見て、
カントリージェントルマンという生き方
と出会ったことが、
地方(軽井沢)移住への道の第一歩に
なったような氣がします。
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白洲次郎ってどんな人だっけ?
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カントリージェントルマン
という生き方って?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●カントリージェントルマン白洲次郎とは
●カントリージェントルマンという生き方
●白洲次郎に関するおすすめ本
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
カントリージェントルマン白洲次郎
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<白州次郎語録から引用>
白洲次郎との出会い
はじめて、白洲次郎をTVで見て、
カントリージェントルマンという生き方と
出会ったのが、はっきりと覚えていないものの、
1990年代。
そのTVと言うのも、とあるバラエティー番組で、
しかも、家族が録画したビデオを、
後日、たまたま見たという偶然の出来事でした。
風の男 白洲次郎伝説
<1994年に放映された番組>
その後、ビデオを何度か見て、『これだ!』と
自分の中でスイッチが入ったんでしょうね。
特に、白洲次郎、カントリージェントルマン
というキーワードが頭から離れませんでした。
とにかく、強いインパクトを受けて、
その後、白洲次郎関連書籍を、
求めていくことになりました。
『風の男 白洲次郎』
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わたしが最初に購入した書籍が、この本。
わたしが、地方(軽井沢)移住への道を歩む
スイッチ役になってくれた思い出深い1冊。
『風の男 白洲次郎』が出版されたのが、
1997年11月のようです。
元々、この伝記本、1990年刊私家版の
再刊のようですので、1990年代は、まだ、
知る人ぞ知る偉人だったんですね。
当時、まだ、白洲次郎は、
どちらかと言えば、マイナーな偉人。
そこが、また、よかったのかもしれません。
『白洲次郎 占領を背負った男』
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我が家が軽井沢に移住した2004年の後、
2005年8月に出版された伝記本がこの1冊。
2006年、この本の著者が出演して、
NHK『その時 歴史が動いた』でも
白洲次郎は取り上げられ、
ますますメジャーな偉人になるのでした。
『プリンシプルのない日本』
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その後、書店で、白洲次郎・白洲正子コーナーを
見かけることも珍しくなくなりました。
そんな中、白洲次郎唯一の著作集がこの1冊。
伝記本も読み応えがあっていいんですけど、
この本は、本人の肉声が感じられて、
違う魅力がありました。
『太陽 特集白洲次郎』
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『太陽』は、元々、好きですけど、
その『太陽』の白洲次郎特集。
歴史上も貴重な画像が満載で、
わたしのお宝本の1冊です。
カントリージェントルマンという生き方
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カントリージェントルマン 白洲次郎
世界の超一流品を愛し、重厚にして自由気まま。
毒舌家にして友情に厚く、紳士にして野性的、
窮地に落ちても決して絶望することを知らない、
まさに風の男。
そんな風の男が、イギリスケンブリッジ大学
留学から帰国後、実業界で活躍していたものの、
戦時下の1943年(昭和18年)、
日本の敗戦と食糧危機を見越して、
東京郊外鶴川村へ転居し、田舎暮らしへ。
9年間のイギリス留学で身につけた
カントリージェントルマンという生き方を、
この時、いよいよ実行に移したんでしょうね。
カントリージェントルマンという生き方。
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地方(田舎)に住んでいながら、
中央の動きに目を光らせ、
事が起ると「いざ鎌倉」の志を持ち、
私欲を捨て出て行き、
献身的に働き、御意見番となり、
目途が立てば、また田舎暮らしに戻る生き方。
戦後のGHQの統治下で、
従順ならざる唯一の日本人と言われる
活躍をしたり、吉田茂内閣誕生時、
貿易庁長官を任命され、吉田の経済政策を
具体化する原動力となり、白洲三百人力と
呼ばれたのも、カントリージェントルマン
という生き方の表れだったのだと思います。
戦後、日本国憲法制定に向け、裏方として
深く関わっていたという史実も、
今、法律を生業として暮している
わたしとしては、ご縁を感じます。
白洲次郎と軽井沢
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白洲次郎が別荘を持っていたのは、軽井沢。
晩年は、軽井沢ゴルフ倶楽部の常任理事として
活躍されたそうですので、少しご縁を感じます。
白洲次郎に憧れて、軽井沢への移住を
決めたわけではありませんが。
白洲次郎の流儀
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カントリージェントルマンという生き方、
そして、白洲次郎のかっこよさには、
惹かれます。
入院した病院で看護師さんに
『右利きですか?左利きですか?』と
尋ねられたときの、最期のことば。
右利きです でも夜は左
(”左利き”とは”酒飲み”という意味)。
有名な遺言状のことば。
一、葬式無用
一、戒名不用
まとめ:軽井沢移住への道~影響を受けた人物 カントリージェントルマン 白洲次郎&おすすめ本も紹介
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戦時下の1943年(昭和18年)、
白洲次郎は、日本の敗戦と食糧危機を見越して、
東京郊外鶴川村へ転居し、田舎暮らしへ。
9年間のイギリス留学で身につけた
カントリージェントルマンという生き方を、
この時、いよいよ実行に移しました。
2004年、軽井沢に移住したわたしも、
一歩一歩、カントリージェントルマンへの道を
これからも歩んでいきますよ。
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