こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんな記事を見かけました。
YMOが活動していたのは、
わたしが中学生の頃。
『テクノポリス』
『ライディーン』・・・
これまで聞いたことのないサウンドに
衝撃を受けたのを覚えています。
そんなメンバーの1人、高橋幸宏さんが
軽井沢に移住されていたなんて、
まったく知りませんでした。
しかも、ちょっと調べてみると、
軽井沢とのご縁はかなり深いようで。
高橋幸宏って
どんな人だっけ?
高橋幸宏と軽井沢とのご縁って?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●高橋幸宏って、どんな人なのか
●軽井沢とのご縁3選
●高橋幸宏流のかっこいい生き方
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ニュースによると・・・
「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のドラマーとして活躍した高橋幸宏さんは、数年前に軽井沢町に移住し、休暇には渓流釣りを楽しんだ。訃報が届いた15日、交流のあった人たちが悼んだ。
<信濃毎日新聞から引用>
高橋幸宏の魅力
高橋幸宏って
- 生誕
⇒1952年6月6日 - 死没
⇒2023年1月11日(70歳没) - 出身地
⇒東京都目黒区 - 学歴
⇒立教高等学校卒
武蔵野美術大学中退 - 職業
⇒ドラマー
シンガーソングライター
作曲家
音楽プロデューサー
ファッションデザイナー
俳優
1972年、Sadistic Mika Bandに参加。
1978年、細野晴臣、坂本龍一とともに
YMOを結成。ソロ活動と併行して、
”THE BEATNIKS”、”SKETCH SHOW”、
”pupa”(ピューパ)、”METAFIVE”など
様々なバンドで活動。ソロとしても、
1978年の1stアルバム『Saravah!』
以来、数多くのオリジナル・アルバムを発表。
音楽家としての顔を持つ一方、
ファッション・デザイナーとしても
長いキャリアを持つ。趣味は釣り。
軽井沢とのご縁3選
軽井沢の別荘
高橋家所有の軽井沢別荘があったため、
幼少期から軽井沢にはご縁があったようです。
細野晴臣との出会いも軽井沢
YMOベーシスト細野晴臣との出会いも、
軽井沢だったそうです。1968年、
当時大学3年生だった細野晴臣と
高校1年生だった高橋幸宏が、
軽井沢でのパーティで出会いました。
兄の音楽プロデューサー高橋信之さんが
主催するパーティーに、慶應義塾大学の
バンドが参加。バンドのメンバーに
立教大の細野晴臣がいて、
2人は交流を深めたようです。
晩年、軽井沢移住
生粋の都会っ子だった高橋幸宏が、
10年程前に終の棲家に選んだのが、
幼少期から訪れていたという軽井沢。
ラジオ番組で『9年越しで家を建てている』
と発言。軽井沢郊外に建設中の自宅に
せせらぎを整備しようと計画したのも、
趣味の釣りを自宅にいながら楽しむため
だったのかもしれませんね。
【厳選】おすすめ本を紹介
プロデビュー50周年、高橋幸宏アニヴァーサリー本
おすすめ本は、これ。
まとめ:【軽井沢】高橋幸宏さんを偲んで 軽井沢とのご縁3選&おすすめ本も紹介
高橋幸宏流のかっこいい生き方
見た目も生き方もかっこよかった高橋さん。
やっぱり、その生き方に惹かれます。
高橋幸宏語録も、かっこいいんです。
自分のことも他人のことも肯定すること、
やっぱり肝なんですね。わたしも、
年齢にとらわれず、自分の人生を
楽しむことにフォーカスしていきたいです。
高橋幸宏さんの訃報
YMOを聴いて育った世代の1人として、
グレーな氣持ちに、わたしもなりました。
ご冥福をお祈りします。
先端の素敵な音楽、ありがとうございました。
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