【軽井沢】旧三笠ホテル 2025年秋に開館

軽井沢情報
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こんにちは。

カントリージェントルマン鴨志田です。

2004年、東京井の頭から

軽井沢追分へ移住しました。

で、ネット上で、

こんなトピックスを見かけました。

120年前の浴槽か 改修工事中の旧三笠ホテル敷地から遺構見つかる|新着情報|軽井沢ウェブ
120年前の浴槽か 改修工事中の旧三笠ホテル敷地から遺構見つかる|軽井沢の政治やローカルニュースから観光、ニューショップ、イベント情報まであらゆる情報を発信しています。

リゾートの街、軽井沢。

その象徴の1つが、旧三笠ホテル

そこで、トピックス記事、読んじゃいました。

旧三笠ホテルって
どんなホテルなの?
その魅力は?

そんな疑問・質問、よくわかります。

この記事を読むと、
旧三笠ホテルとは
旧三笠ホテル
の歴史
旧三笠ホテル
の魅力
がわかります。

そこで、まずは、結論から。

  • 旧三笠ホテル 2025年秋頃、再開館
  • 明治から昭和にかけての日本の近代化と軽井沢の避暑地としての発展を象徴する歴史的建造物
  • 日本人技術者のみによる純西洋式木造ホテル
  • 軽井沢の鹿鳴館
  • 国の重要文化財に指定

旧三笠ホテル
撮りたいです
SNSに載せたいし…

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トピックスによると・・・

120年前の浴槽か 改修工事中の旧三笠ホテル敷地から遺構見つかる

 軽井沢町は4月24日の全員協議会で、国重要文化財・旧三笠ホテルの敷地から、1905年のホテル建築当時の浴槽と見られる遺構が出土したことを発表した。施設を管理する町教委生涯学習課は「(74年に)曳き家する前の建物の位置や、当時の施工方法を示す貴重な資料」と、遺構保護の考えを示した。

 旧三笠ホテルは1970年に閉業。日本長期信用銀行買収後の74年、曳き家で現在の場所に北へ約50m移動している。閉業当時の平面図や曳き家計画図から、出土したのは移動前まであった浴室棟北西端の浴槽と推測した。

 見つかった浴槽は全部で3据え。1据えのサイズは縦横約2.2㍍x約1.1㍍で、高さは約0.5m。赤煉瓦を積み上げたもので、浴槽内の側面や底部には釉薬を塗ってあったという。

 旧三笠ホテルは2019年12月末から休館し、大規模な保存修理中。3月17日、通路の舗装のためホテル中央の正面付近で地面を掘削したところ、地中から遺構の一部が出土したという。

 すでに専門家の調査や意見聴取を終え、現在は遺構を砂で覆って不透水シートを被せ、さらに土と浅間砂利を敷いて埋め戻し保護している。舗装を取りやめ、庭園の一部として、看板を設置するなどして、遺構があったことを周知するという。

 旧三笠ホテルの開館は今秋を予定。遺構発見の影響による開館の遅れは生じないという。

<軽井沢ウェブから引用>

旧三笠ホテル

旧三笠ホテルは、明治から昭和にかけての

日本の近代化と軽井沢の避暑地としての

発展を象徴する歴史的建造物。

多くの著名人や政治家が訪れ、

特に夏の避暑地として知られる

軽井沢の象徴的な存在となりました。

基礎データ

  • 名称
    ⇒旧三笠ホテル
  • 住所
    ⇒軽井沢町大字軽井沢字唐堀1339番342

アクセス

  • 軽井沢駅よりタクシー約6分(3.5km)
  • 上信越自動車道碓氷軽井沢ICより約19分(13.2km)

わが家も赴いた旧三笠ホテル(2009.11/3)

わたし、軽井沢移住8年目にして、

実は、はじめて赴いてみました。

実際に見て、ちょっと感動しましたよ。

さすがは、軽井沢の鹿鳴館と呼ばれた

だけのことはあります。

たまたま、軽井沢彫りの家具の展示会も

催されていて、2倍楽しめました。

旧三笠ホテルの歴史

旧三笠ホテルは、1905年に竣工、

1906年に営業を開始。

実業家の山本直良氏によって建設され、

1970年まで営業を続けました。

1980年に重要文化財に指定され、

現在は保存・活用が進められています。

  • 1906年(明治39年)
    営業を開始し、客室は30室、定員は40名、宿泊料は一等が12円、二等が8円、三等が5円
  • 1907年(明治40年)
    日本館が完成
  • 1910年(明治43年)
    明治43年の大水害のため流出
  • 1919年(大正8年)
    洋風別館が完成
  • 1925年(大正14年)
    経営母体が変わって(株)三笠ホテルとなり、明治屋に名義変更
  • 1944年(昭和19年)
    休業
    軽井沢が駐日外国人の主要疎開地として指定されたことから、外務省の軽井沢出張所が設置される
  • 戦後
    アメリカ陸軍第一騎兵師団に接収され、進駐軍の施設となる
  • 1952年(昭和27年)
    米陸軍第八軍の使用終了後、三笠ハウスの名称で営業を再開
    1970年(昭和45年)まで営業を続ける
  • 1972年(昭和47年)
    日本長期信用銀行によって買収される
  • 1974年(昭和49年)
    現在地の南方から70m移転
    移築の折、文化庁と協議した結果、建築的価値のある本体部分を残し、食堂、調理場、浴室等は解体
  • 1980年(昭和55年)
    日本長期信用銀行から軽井沢町に贈与される
  • 1980年(昭和55年)
    5月31日に「旧三笠ホテル」として国の重要文化財に指定され、保護
  • 2019年(平成31年)
    12月28日より耐震補強を含む大規模保存修理工事を行うため、長期休館
    工事後の再開館は、2025年の夏頃を予定

旧三笠ホテルの魅力

▼純西洋式木造ホテル

設計は岡田時太郎、施工は地元の大工、

監督は万平ホテルの佐藤万平が担当。

日本人技術者のみによる純西洋式木造ホテル

アメリカのスティックスタイルを採用した

ゴシック風の華麗な外観で、

扉のデザインはイギリス風、

下見板はドイツ風、用材は小瀬の

アカマツを現場で製材しました。

▼軽井沢の鹿鳴館

欧米人とともに、渋沢栄一、団琢磨、

住友友純、乃木希典、愛新覚羅溥儀、

近衛文麿、徳川慶久、有島武郎などの

著名人が多く宿泊し、政財界の要人が集う

社交の場となったことから、

軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれていました。

▼国の重要文化財に指定

旧三笠ホテルは、国際避暑地・軽井沢の雰囲気を

当時のまま今に伝える貴重な建築物です。

また、軽井沢の別荘文化や避暑地としての

歴史を物語る重要な遺構でもあります。

これらの価値が認められ、1980年5月31日、

国の重要文化財に指定されました。

この指定により、建物の保存と後世への継承が

図られることになりました。

まとめ:【軽井沢】旧三笠ホテル 2025年秋に開館

  • 旧三笠ホテル 2025年秋頃、再開館
  • 明治から昭和にかけての日本の近代化と軽井沢の避暑地としての発展を象徴する歴史的建造物
  • 日本人技術者のみによる純西洋式木造ホテル
  • 軽井沢の鹿鳴館
  • 国の重要文化財に指定

旧三笠ホテル
撮りたいです
SNSに載せたいし…

旧三笠ホテル 2025年秋頃、再開館

重要文化財・旧三笠ホテル 開館期間等のご案内(工事のため休館中)

 旧三笠ホテルは、耐震補強を含む保存修理工事と、エレベーター・トイレ棟の増築及び防災施設整備を含む防災・活用整備工事のため現在休館中です。ご不便等をおかけいたしますが、ご理解いただきますようお願いいたします。再開館は、令和7年秋頃を予定しています。

<軽井沢の町役場オフィシャルから引用>

リゾートの街、軽井沢。

その象徴の1つが、旧三笠ホテル。

2025年秋の再開館が楽しみです。

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