こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなニュースを見かけました。
佐久長聖は、お隣り佐久市にある私立の
中高一貫校。娘が通っていた岩村田高校と
同じ最寄り駅(岩村田)で、
わが家としても身近な学校(車で30分圏内)。
娘も受験し、合格をいただきました(感謝)。
佐久長聖中学・高等学校って、
どんな学校なの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●佐久長聖って、どんな学校なのか
●佐久長聖が新設した2コース
●サミットアカデミーエレメンタリースクール佐久
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ニュースによると・・・
佐久長聖高、生徒も先生もハロウィーン満喫 仮装して授業受ける「スペシャルカジュアルデー」
ハロウィーンの31日、佐久長聖高校(佐久市)の生徒たちが仮装して授業を受けた。恒例イベント「スペシャルカジュアルデー」の一環で、アニメや漫画のキャラクターの格好をしたり、着ぐるみに身を包んだりして楽しんだ。
空気で膨らませて、高さ1.9mになる恐竜の着ぐるみをまとった1年の田中優さん(16)は「初めてのスペシャルカジュアルデーで、気合を入れた」。柔道部の2年生はおそろいでアニメ「ひつじのショーン」の仮装をした。羊の毛の部分はティッシュ、耳の部分はくつ下を使った手作りの衣装。佐竹優芽さん(17)は「仮装は楽しいし、良い思い出になるので、楽しみにしていた」と笑顔だった。
スペシャルカジュアルデーは異文化を体験し、楽しんでもらうことで英語学習のきっかけにしようと2017年に始めた。教職員も仮装し、授業で正解した生徒や、「トリックオアトリート(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と声をかける生徒に菓子を配って盛り上げた。
<信濃毎日新聞から引用>
私立ならではのユニークな企画、
スペシャルカジュアルデー。
いいですね~。
佐久長聖中学・高等学校って
1991年から、『東大・京大・甲子園』を
スローガンに掲げ、1995年、長野県内で
初めての中高一貫教育学校に。
駅伝部、スケート部の全国優勝、
野球部の甲子園春夏10回出場など、
スポーツの実績が有名な一方で、
Ⅰ類では東大合格実績も出ています。
基礎データ
- 校名
⇒佐久長聖中学・高等学校 - 住所
⇒佐久市岩村田3638番地(中学校)
⇒佐久市岩村田951番地(高等学校) - 最寄り駅
⇒岩村田(しなの鉄道) - 設置形態
⇒併設型中高一貫教育校 - 類型
⇒Ⅰ類
⇒Ⅰ類ゲームプログラミングコース(Gコース)※新設
⇒Ⅱ類
⇒Ⅱ類ゲームプログラミングコース(Gコース)※新設
⇒Ⅱ類パフォーミングアーツコース(Pコース)※新設
⇒中高一貫課程 - 開校日
⇒1964年4月
佐久長聖の歴史
- 1964年(昭和39年)
⇒学校法人佐久学園により佐久高等学校として開校 - 1995年(平成7年)
⇒佐久長聖中学校を設置
⇒佐久長聖高等学校へ改称
⇒中高一貫教育を開始 - 2004年(平成16年)
⇒学校法人佐久学園から学校法人聖啓学園に移管 - 2017年(平成29年)
⇒新校舎完成 - 2023年(令和5年)
⇒学校法人長野家政学園と合併して、学校法人長聖となることを発表
入試情報
佐久長聖のユニークポイント
パフォーミングアーツとゲームプログラミングの2コースを新設
2023年4月から、以下2コースを新設。
募集は、パフォーミングアーツが
女性アイドルに限定して女子のみ20人。
ゲームプログラミングが30~35人。
全日制の普通科で、芸能やゲーム関連の
コースを設けるのは珍しいとのことです。
サミットアカデミーエレメンタリースクール佐久 開校
聖啓学園(長野県佐久市)と
長野家政学園(長野市)は、
2023年4月1日に合併。
長聖と法人名を改め、2024年4月、
佐久市に小学校を新設しました。
2024年春に開校した小学校、
サミットアカデミーエレメンタリースクール佐久。
日本人教諭と外国人スタッフの2人が学級担任をし、
日常生活のほか授業全体の6割を英語で行うなど、
英語教育に力を入れるようです。 世界とつながり、
活躍できる人材の育成を目指すようです。
まとめ:佐久長聖中学・高等学校~軽井沢っ子も通う学校をもっと知りたい
【おすすめ】ニーズに合わせ、賢くプロの力も活用
軽井沢移住前の9年間、わたし、
栄光ゼミナール講師として、
数百人の教え子を送り出してきました。
軽井沢移住後、2009年4月、
こどもたちが小学生の頃、
追分こども会を立ち上げ、同時に、
地域で子育て教育アドバイザーとして、
活動も続けています。
そんな長~い受験指導の経験上、
こどもたちのニーズに合わせ、賢く、
などのプロの力を活用することも
おすすめします。
佐久長聖は身近な存在
我が家のこどもたちがお世話になった
当時の西部小では、わたしの知る限り、
私立中学に進学する生徒が、年に10名前後
程度だったと思います。進学先は、
佐久長聖、新島でした。都心と比べると、
中学入試の過熱はその程度でした。
軽井沢っ子の高校入試では、
公立1校、私立1校が、よく見られる
受験パターンでした。
そもそも、東信地方には私立校が少なく、
併願校は、佐久長聖、上田西でした。
というわけで、佐久長聖はとても身近な存在。
進学した軽井沢っ子も少なくない学校です。
スポーツの応援はもちろん、
地域の者としては、長~い目で、
見守っていきたいですね。
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