こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなニュースを見かけました。
上田西は、上田市にある私立高校。
我が家の息子や、家庭教師の教え子も受験し、
合格をいただきました(感謝)。
上田西高等学校って、
どんな学校なの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●上田西って、どんな学校なのか
●上田西のユニークポイント
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ニュースによると・・・
復興への経験を全校と共有 上田西高生徒会 石川・七尾でボランティア
上田西高(上田市)生徒会の役員らが、能登半島地震で被災した石川県七尾市でボランティア活動をした。5日、同校では全校生徒約800人への報告会を開催。活動には同校新聞委員会編集局員が同行し、取材内容をA4判1枚に両面印刷した校内紙「千西一遇(せんざいいちぐう)」にまとめて集まった全校生徒に配った。生徒会役員は「経験を校内外に共有し、支援を続けたい」と訴えた。
同校生徒会は発生直後から被災地のために何かしたいと模索。募金などをしてきたが、現地で必要な支援をしたいとの思いがあった。同校と、七尾市にある鵬(おおとり)学園高校のサッカー部は練習試合などで交流。地震発生3日前にも両校サッカー部は鵬学園高で試合をしていたこともあり、ボランティア先は七尾市にした。
現地には3月25、26日、七尾市災害ボランティアセンターを通じて生徒会役員11人と編集局員2人が行き、被災住宅の片付けを手伝った。
報告会で、上田西高生徒会副会長の3年小林明快(あきよし)さん(17)は「東日本大震災や西日本豪雨の際に現地でボランティアをした先輩の伝統があり使命を感じた」。鵬学園高の生徒とも交流し、同校では校舎や体育館が被災するなどして「学校行事も部活もままならない様子だった」と説明。「東信地域の高校生を巻き込み、募金など必要な支援をしたい」と呼びかけた。
「生徒会が被災地でボランティアに携わったのは、私たちにとってすごく大きな話」と大田さん。報告会で配った校内紙では、通常の学校生活を送ることができなくなった鵬学園高の状況を踏まえ、「当たり前の日常生活は普通ではない」と訴えた。
<信濃毎日新聞から引用>
上田西高等学校って
上田地域に私立高等学校の設立を求める
多年にわたる地域住民の要望を受けて、
1960年(昭和35年)4月、
上田城南高校として開校しました。
軽井沢からも、推薦入試や、
公立上位校の併願校として
一般入試に臨む軽井沢っ子がいます。
基礎データ
- 校名
⇒上田西高等学校 - 住所
⇒長野県上田市下塩尻868番地 - 最寄り駅
⇒西上田(しなの鉄道) - 設置学科
⇒普通科(特進コース)
⇒普通科(進学コース) - 開校日
⇒1960年4月
上田西の歴史
- 1960年(昭和35年)4月
⇒上田市上田原に上田城南高等学校として開校 - 1986年(昭和61年)8月
⇒上田市下塩尻の長野県蚕業試験場跡地(現在の校地)を長野県より買収し、移転決定 - 1987年(昭和62年)3月
⇒校地移転、上田西高等学校と改称 - 2010年(平成22年)
⇒創立50周年 - 2012年(平成24年)
⇒進学コース(旧名 I類)、特進コース(旧名 II類)に変更 - 2013年 (平成25年)
⇒野球部が第95回全国高等学校野球選手権大会に初出場 - 2018年 (平成30年)
⇒サッカー部が第96回全国高等学校サッカー選手権大会にて長野県勢初の準決勝進出
入試情報<令和6年度入試>
上田西のユニークポイント
上田西は私立高校、上田東は公立高校
上田市内には複数の高校があるものの、
上田西は唯一の私立高校。
ちなみに、上田東は公立高校なのです。
お間違いのないように。
県下有数の敷地と充実の設備
敷地面積66,097㎡。
普通科高校として県内トップ。
施設も年々充実し、全館冷暖房完備で
最新のコンピュータを配備した情報教室、
衛星授業を実現しているテライト教室、
屋内野球練習場、フルサイズのサッカーコート、
最新機器を導入したトレーニング室など。
特に、野球グランドは両翼98m、
サッカーグランドは105m×64mのフルサイズ。
留学の上田西
上田西の特徴の1つが充実した留学制度。
交換留学の実績は30年以上。
短期留学、長期留学合わせて1400人以上。
まとめ:上田西高等学校~軽井沢っ子も通う学校をもっと知りたい
【おすすめ】ニーズに合わせ、賢くプロの力も活用
軽井沢移住前の9年間、わたし、
栄光ゼミナール講師として、
数百人の教え子を送り出してきました。
軽井沢移住後、2009年4月、
こどもたちが小学生の頃、
追分こども会を立ち上げ、同時に、
地域で子育て教育アドバイザーとして、
活動も続けています。
そんな長~い受験指導の経験上、
こどもたちのニーズに合わせ、賢く、
などのプロの力を活用することも
おすすめします。
上田西は身近な存在
我が家のこどもたちがお世話になった
当時の西部小では、わたしの知る限り、
私立中学に進学する生徒が、年に10名前後
程度だったと思います。進学先は、
佐久長聖、新島でした。都心と比べると、
中学入試の過熱はその程度でした。
軽井沢っ子の高校入試では、
公立1校、私立1校が、よく見られる
受験パターンでした。
そもそも、東信地方には私立校が少なく、
併願校は、佐久長聖、上田西でした。
というわけで、上田西はとても身近な存在。
進学した知ってる軽井沢っ子も少なくない
学校なのです。スポーツの応援はもちろん、
地域の者としては、長~い目で、
見守っていきたいですね。
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