こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
軽井沢とご縁のあるジョン・レノン。
で、ネット上で、
こんなトピックスを見かけました。

イキメンというライフスタイルを
つくっていく過程で、影響を受けたのが、
ジョン・レノンの
ハウスハズバンドという生き方でしだ。
また、写真展会場の軽井沢離山サロンも、
ここのところ、雲場池ランの途中、
サロンの前を走っていたので、
トピック記事、読んじゃいました。

写真展 ジョン・レノン1980/12/9の記憶
どんなイベントなの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●写真展 ジョン・レノン1980/12/9の記憶
●ジョン・レノンとは
●ジョン・レノンの生き方に惹かれて
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
トピックスによると・・・

ジョン・レノン逝去翌日のNYのフォト展示 日本人写真家が撮影 11/8〜22
ジョン・レノンが凶弾に倒れた1980年12月8日の翌日のニューヨークの風景を記録した日本人フォトグラファー、井上博行さんの写真などを展示する「ジョン・レノン 1980/12/9の記憶」が11月8日から22日まで、FunBase離山サロンで開かれる。
ジョンの訃報を伝える新聞を手にする若者、街を覆う深い悲しみや怒り…。歴史に残る貴重な写真約50点のほか、ジョンの肉筆が入ったリトグラフも展示する。「この世に『愛と平和』を提唱し、「軽井沢」を愛した彼の”記憶”を辿る内容です」と主催者。入場無料。時間は11:00~17:00。
初日の11月8日には、シンガーソングライターの秋山登志夫さんが、ビートルズやR&Bの名曲を奏でるライブを同会場で開催。時間は15:00~。料金は2,000円(1ドリンク&軽食付き)。
<軽井沢ウェブから引用>
写真展 ジョン・レノン1980/12/9の記憶 軽井沢離山Salon
あなたは、ジョン・レノンは知っているが、彼がいなくなった後の街は知らない。
軽井沢を愛したジョン・レノン
1980年12月8日に彼がこの世を去ってから、今年で45年。私たちはジョン・レノンは知っていますが、彼がいなくなった翌日の街(ニューヨーク)は知りません。翌日の街を覆う深い悲しみ、喪失感、やり場のない怒り、憤り…その時の街と人々の姿を撮影し、歴史を切り取った唯一の日本人フォトグラファー井上博行。彼の写真展を軽井沢離山サロンにて開催いたします。歴史に残る貴重なフォトグラフと共に、コレクター秘蔵のジョンレノン肉筆のリトグラフもご覧いただけます。
また、写真展初日であるレノンの命日1か月前の11月8日(土)には秋山登志夫のアコースティックライブも同会場で行います。ドリンクとフードは有料とはなりますがご用意してありますのでお楽しみいただければと思います。皆様のご来場を心よりお待ちしております。
●開催日時
⇒11/8 (土) ~22 (土)
11:00~17:00
●開催場所
⇒軽井沢離山サロン
軽井沢町長倉離山2020ー1
●交通アクセス
⇒軽井沢駅より車で5分程
●料金
⇒入場無料
<TRIP KARUIZAWAから引用>
ジョン・レノン

ジョン・レノンとは
- ビートルズを立ち上げたリーダーでボーカル、ギターなどを担当するとともに、ポール・マッカートニーとレノン=マッカートニーとしてソングライティング・チームを組み、多くの楽曲を作曲
- 1970年のビートルズ解散後、アメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また、妻のオノ・ヨーコと共に活動
- 1975年から約5年間、音楽活動を休止
- 1980年に活動を再開するも、同年12月8日、ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡
ジョン・レノンのハウスハズバンドという生き方
ビートルズ解散後、1975年から5年間、
ジョン・レノンが、音楽活動を休止し、
ハウスハズバンドとして、息子のショーンの
子育てをしていたのは有名な話。
1977年~79年の3年間のうち3度ほど、
軽井沢にも訪れ、1~2ヶ月くらい、
万平ホテルに滞在して、軽井沢の自然を
楽しんでいたそうです。
ジョン・レノンの生き方に惹かれて

自分なりの選択肢
ジョン・レノンのハウスハズバンドという
生き方に惹かれて、自分の子育てについて、
いろいろ考えていたように思います。
ジョン・レノンのように、当時、
名声も富も才能もあった人と比べても
仕方ないんですけど、ビジネスを休止して
ハウスハズバンドをするパターン以外に、
自分に採り得る選択肢は他にないのか?
子育てにできるだけ多くの時間を費やしつつ、
ビジネスからも遠ざからない選択肢。
願わくば、ハウスハズバンドとして充実した
ライフスタイルを送っていることにより、
ビジネススタイルも充実してしまうという
循環スタイルを築けないか?そんなことを考えて、
2000年を迎えたのでした。
ネットで起業、フリーランス
2000年5月26日、東京井の頭で、
ネットベンチャー行政書士として開業。
結局、わたしは、試行錯誤の結果、
SOHOで、フリーランスという
ビジネススタイルを選びました。
- 2001年
⇒長男誕生 - 2004年
⇒長女誕生 - 2004年
⇒軽井沢移住
イクメンからイキメンへ
軽井沢に移住した2004年、
息子は3歳、娘は0歳。
今思うと、わたしも、
イクメンしていたように思います。
フリーランスの仕事だったこともあって、
子育てを楽しみやすい環境にありましたね。
2009年、イキメンというキーワードを
つくって、追分こども会など、いろいろ活動を
はじめられたのも、自分の選んだ
ライフスタイル&ビジネススタイルが
大きく関係していたように思います。
まとめ:【軽井沢】写真展 ジョン・レノン1980/12/9の記憶

写真展 ジョン・レノン1980/12/9の記憶
ジョン・レノンが逝去した翌日、1980年12月9日のニューヨークを記録した貴重な写真展が、軽井沢・離山サロンで開催されます。
深い悲しみと喪失感に包まれた“あの日の街”を、唯一撮影した日本人フォトグラファー井上博行氏の作品約50点が展示され、ジョンの肉筆入りリトグラフも併せて鑑賞できます。11月8日には秋山登志夫さんのライブも開催され、音楽と写真でジョンを追悼する特別な一日になりそうです。
軽井沢を愛し、そしてハウスハズバンドとして家族を大切に生きたジョン・レノン。その姿勢は、子育てやライフスタイルを考えるきっかけにもつながります。
今回の展示を通じて、ジョンが遺した “愛と平和” のメッセージと、彼の生き方がもつ奥深い魅力を改めて感じられる時間になるでしょう。
わたし流のイクメン&イキメンへの道
ジョン・レノンのハウスハズバンドという
生き方に惹かれて、結局、わたしは、
ネットで起業、フリーランスという
ライフスタイル&ビジネススタイルを選択。
すべてが思い通りにいったわけではなく、
苦労したことも多々ありましたけれど、
結果的に、イクメン&イキメンへの道に
進めたのは、そのスタイルのおかげでも
あったと思っています。
ちなみに、わたしの20年以上の
愛用サングラスはレノンモデル。
ただ、ビートルズの楽曲としては、
ポールの方が好きだったりします。



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