こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなニュースを見かけました。
熊野皇大神社は、碓井峠頂上にある神社で、
軽井沢の総氏神。日本神話に登場する
日本武尊(ヤマトタケル)や八咫烏(ヤタガラス)
でも有名なのです。
そこで、ニュース記事、読んじゃいました。
熊野皇大神社って、どんな神社なの?
その歴史と魅力は?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●熊野皇大神社って、どんな神社なのか
●熊野皇大神社の歴史
●サッカーの守り神 八咫烏神社とは
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ニュースによると・・・
長野県と群馬県の県境にまたがって位置する熊野皇大神社(軽井沢町峠)が元日から、大勢の参拝客でにぎわっている。同神社は、本宮の中心が長野県と群馬県の境になっている珍しい神社。鳥居に向かって左側が長野県軽井沢町で右側が群馬県安中市。
<軽井沢経済新聞から引用>
熊野皇大神社って
標高1200mの碓井峠頂上にあり、
軽井沢に鎮座する神社。
全国的にも珍しく県境にあって、社殿は
長野県北佐久郡軽井沢町と群馬県安中市に
またがっており、参道と本宮の中央を
県境が通ります。
長野県側は、神社庁により特別神社に指定され、
熊野皇大神社と呼ばれています。
主な社宮は3つあり、本宮は伊邪那美命、
日本武尊(ヤマトタケル)、
長野県側の那智宮は事解男命を祀ります。
群馬県側の新宮は速玉男命を祀ります。
熊野三山(和歌山県)、熊野神社 (山形県)
と並び日本三大熊野と称されます。
基礎データ
- 名称
⇒熊野皇大神社(長野県側)
⇒熊野神社(群馬県側) - 住所
●熊野皇大神社
⇒長野県北佐久郡軽井沢町峠町1番地
●熊野神社
⇒群馬県安中市松井田町峠町9番地 - 営業時間
⇒10:00~16:00 - 定休日
⇒無休
熊野皇大神社の歴史
- 社伝によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰路で碓氷峠に差し掛かった際、濃霧が生じて道に迷った。この時に一羽の八咫烏(ヤタガラス)が梛の葉を咥えて道案内をし、無事に頂上に着いたことを感謝して熊野の神を勧請したのが熊野皇大神社の由来だとされてます。
- かつては長倉神社熊野宮や長倉山熊野大権現と称していたものの、社地が信濃国(長野県)と上野国(群馬県)の境界となり上野国も入ったため、熊野宮と名称が短くなりました。
- 皇大神社、碓氷神社、熊野大権現とも呼ばれたものの、慶応4年(1868年)、熊野皇大神社に改称しました。
- 昭和になって、群馬県側に熊野神社ができた。
- 第二次世界大戦後に宗教法人法が制定された際、都道府県毎に宗教法人の登記が必要となったため、1つの神社でありながら、県境を挟んで長野県側が熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となった。
八咫烏神社~サッカーの守り神
熊野皇大神社には、日本武尊(ヤマトタケル)が
碓氷峠で濃い霧のため進めなくなったときに
3本足の伝説上のカラス、八咫烏(やたがらす)に
先導されたという言い伝えが残っています。
境内の一角には、八咫烏神社があります。
八咫烏といえば、日本サッカー協会のシンボル。
サッカー日本代表のユニフォームの胸にも、
協会のエンブレム3本足の伝説の八咫烏が
縫い付けられてます。
2022年のカタール・ワールドカップでは、
大活躍だった日本代表。日本戦の前には、
その必勝祈願のため、多くのサポーターが
神社を訪れたそうです。
まとめ:【軽井沢】熊野皇大神社 初詣&必勝祈願
【おすすめ】移住前後でお世話になった軽井沢ヴィネット
軽井沢移住前に出会い、購入。
軽井沢に移住して家づくりしていく上で、
いい影響を受けてきました。
軽井沢に関する知りたいことが、
かなり網羅されている一冊。
インスパイアされますね。
ちなみに、軽井沢移住後、ご縁をいただき、
軽井沢ヴィネットから取材を受けて、
わが家の記事も載せていただきました。
もちろん、移住後も、楽しめる雑誌。
おすすめします。
軽井沢の総氏神様 熊野皇大神社
元日から、初詣のため、大勢の参拝客で賑わった
熊野皇大神社。軽井沢の総氏神様ですので、
足を運ぶ方も多いんですね。
ちなみに、我が家は、最寄の氏神様、
浅間神社への初詣を、正月の習慣としてます。
初詣に限らず、サッカーの必勝祈願に
訪れるサポーターも多いことを、
今回、はじめて知りました、わたし。
過去のワールドカップ優勝国、
ドイツやスペインに勝利できたのも、
願いが叶ったのかもしれませんね。
みなさんも、よろしかったら、是非!
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