こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
2009年4月、こどもたちが小学生の頃、
わたしが、追分こども会を立ち上げました。
同時に、地域で子育てを盛り上げるイキメンも
増えていったらいいな~と思い、
活動してきました。
イキメンというライフスタイルを
つくっていく過程で、影響を受けたのが、
ジョン・レノンの
ハウスハズバンドという生き方でしだ。
ジョン・レノンのハウスハズバンド
という生き方って?
ジョン・レノンの生き方に惹かれて、
どういう子育てスタイルを選んだの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●ジョン・レノンって
●ジョン・レノンのハウスハズバンドという生き方
●ジョン・レノンの生き方に惹かれて
●わたしの体験談(ネットで起業、フリーランス)
●わたしの体験談(イクメンからイキメンへ)
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ジョン・レノン
ジョン・レノンとは
- ビートルズを立ち上げたリーダーでボーカル、ギターなどを担当するとともに、ポール・マッカートニーとレノン=マッカートニーとしてソングライティング・チームを組み、多くの楽曲を作曲
- 1970年のビートルズ解散後、アメリカを主な活動拠点とし、ソロとして、また、妻のオノ・ヨーコと共に活動
- 1975年から約5年間、音楽活動を休止
- 1980年に活動を再開するも、同年12月8日、ニューヨークの自宅アパート前において銃撃され死亡
ジョン・レノンのハウスハズバンドという生き方
ビートルズ解散後、1975年から5年間、
ジョン・レノンが、音楽活動を休止し、
ハウスハズバンドとして、息子のショーンの
子育てをしていたのは有名な話。
1977年~79年の3年間のうち3度ほど、
軽井沢にも訪れ、1~2ヶ月くらい、
万平ホテルに滞在して、軽井沢の自然を
楽しんでいたそうです。
ジョン・レノンの生き方に惹かれて
自分なりの選択肢
ジョン・レノンのハウスハズバンドという
生き方に惹かれて、自分の子育てについて、
いろいろ考えていたように思います。
ジョン・レノンのように、当時、
名声も富も才能もあった人と比べても
仕方ないんですけど、ビジネスを休止して
ハウスハズバンドをするパターン以外に、
自分に採り得る選択肢は他にないのか?
子育てにできるだけ多くの時間を費やしつつ、
ビジネスからも遠ざからない選択肢。
願わくば、ハウスハズバンドとして充実した
ライフスタイルを送っていることにより、
ビジネススタイルも充実してしまうという
循環スタイルを築けないか?そんなことを考えて、
2000年を迎えたのでした。
ネットで起業、フリーランス
2000年5月26日、東京井の頭で、
ネットベンチャー行政書士として開業。
結局、わたしは、試行錯誤の結果、
SOHOで、フリーランスという
ビジネススタイルを選びました。
- 2001年
⇒長男誕生 - 2004年
⇒長女誕生 - 2004年
⇒軽井沢移住
イクメンからイキメンへ
軽井沢に移住した2004年、
息子は3歳、娘は0歳。
今思うと、わたしも、
イクメンしていたように思います。
フリーランスの仕事だったこともあって、
子育てを楽しみやすい環境にありましたね。
2009年、イキメンというキーワードを
つくって、追分こども会など、いろいろ活動を
はじめられたのも、自分の選んだ
ライフスタイル&ビジネススタイルが
大きく関係していたように思います。
まとめ:【体験談】ジョン・レノンのハウスハズバンドという生き方
わたし流のイクメン&イキメンへの道
ジョン・レノンのハウスハズバンドという
生き方に惹かれて、結局、わたしは、
ネットで起業、フリーランスという
ライフスタイル&ビジネススタイルを選択。
すべてが思い通りにいったわけではなく、
苦労したことも多々ありましたけれど、
結果的に、イクメン&イキメンへの道に
進めたのは、そのスタイルのおかげでも
あったと思っています。
ちなみに、わたしの20年以上の
愛用サングラスはレノンモデル。
ただ、ビートルズの楽曲としては、
ポールの方が好きだったりします。
人生楽しんだ者勝ち
人生楽しんだ者勝ちが、私のモットー。
ネガティブな考えや不安にとらわれているには、
人生は短すぎますし、短い人生数十年の中でも、
子育てに関われるのはたったの数年。
大事なのは、はじめの1歩・・・。
だから、今すぐ、やりたいことを企画して、
楽しんじゃいませんか?
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