こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
東京在住の頃、
ネットベンチャー行政書士として開業。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
我が家の土地探し期間は、
2002年10月~2003年8月。
2003年6~7月、3度目の土地探しの際、
はじめて条件を充たし、ご縁を感じる土地と
出会い、いよいよ、土地購入か!?
と思いきや・・・交渉決裂。
7月29日、4度目の土地探しに臨むも、
残念ながら、出会いもご縁もなし。
でも、この思い通りにいかなかった経験が、
さらなる出会いにつながったのかもしれません。
2003年8月5日、夏、
5軒目の不動産会社に訪問してみましたよ。
軽井沢への移住に興味があるんだけど
移住に向け、夏、
5度目の軽井沢土地探しで
出会いはありましたか?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●3度目の軽井沢土地探し(追分物件1)交渉決裂
●(追分物件2)再現地調査
●4度目の軽井沢土地探し
●交渉決裂後のさらなる出会い
●5軒目の不動産会社訪問
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
軽井沢移住への道 夏、交渉決裂後のさらなる出会い
(追分物件1)交渉決裂
我が家の土地探しは、2002年10月スタート。
2003年6月、3度目の土地探しの際、
はじめて条件を充たし、ご縁を感じる土地
(追分物件1)と出会うことができました。
その後、購入に向けて交渉を続け、
いよいよ、土地購入か!?と思いきや・・・
気になる点がいくつか出てきて・・・
さらに、売買希望額についても、
双方折り合うかが難しくなってきて・・・
残念ながら、交渉決裂してしまいました。
7月末のことでした。
新たな土地探し戦略
(追分物件1)交渉決裂して、
次の土地探し戦略をどうするか・・・?
すでに、お世話になる予定の工務店、設計士も
決まりつつあり、その他諸々のことも
動きはじめていたので、焦りまではなくても、
そろそろ土地も決めたい頃合いでした。
また、これまでの土地探し経験のおかげで、
軽井沢の土地を見る目も、だいぶ肥えて
きていました。出会いが近い予感も。
(追分物件2)再現地調査
まずは、ご縁のなかった(追分物件1)の
次の候補になっていた(追分物件2)を、
あらためて検討してみることにしました。
追分物件(2)
- 住所
⇒追分雨池**<追分宿から見て南> - 地目
⇒原野 - 面積
⇒約390坪 - 接道
⇒公道 - 第一印象
⇒〇
再現地調査
久しぶりに、足も運んでみました。
約390坪ということで、広さ十分。
ほぼ平坦地で、木が残り、いい感じ。
接道は、公道で舗装路。
車の通りも少なく、閑静な土地。
近隣は、別荘や定住がちらほらで、程よい。
第一印象からよかったですし、我が家の条件も
ほぼ充たす物件なのが、確認できました。
ただ、以下の点が氣になりました。
- 追分南部の御代田町との境付近の土地で、追分宿や西部小からは距離がある
- 追分の中では標高が低い土地で、「雨池」という地名も氣にかかる
- 追分宿や西部小へ歩いていく場合、通る道に危険な個所がある
工務店、設計士さんによる現地調査も
お世話になる予定の工務店、設計士さんにも、
(追分物件2)を現地チェックしてもらい、
所見をいただきました。
『特に問題は見つからない』ということ
だったように記憶しています。
最後は直感も大事
あれから18年以上経った現在、
この辺りには、友人宅も含め、
数軒の家が建ちました。
でも、当時、(追分物件2)には、
どうしても、出会いやご縁までは
感じられずにいました。
これ、もう直感のレベルの話ですけど、
土地探しって、直感も侮れないんですよね、
経験上。というわけで、保留状態を続け、
新たな出会いも求めてみることに決めました。
4度目の軽井沢土地探し
2003年7月29日(火)、
不動産会社チェックリスト上位の
不動産会社K社を訪問。
これまでの秋、冬、夏の3度の土地探しの
経験を踏まえて、4度目の軽井沢土地探し。
今回も、社長さん自ら、車で、
物件を案内してもらいました。
4度目の土地探しでは、これまでに
つくってきた土地チェックリストはもちろん、
有力候補だった(追分物件1)(追分物件2)
とも比較しながら、臨みました。
おかげさまで、4度目の軽井沢土地探しも、
かなり有意義なものになりました。
ただ、有力候補だった(追分物件1)
(追分物件2)と比較して、出会いを
感じられる物件に、残念ながら、
巡り合うことができませんでした。
交渉決裂後のさらなる出会い
4度目の軽井沢土地探しの翌日の
7月30日(水)、これまで出会った
物件情報をリスト化し、
あらためてチェックしてみました。
これまでの土地探しで得た知識と経験のおかげで、
軽井沢の土地を見る目もだいぶ肥えてきていて、
まもなく出会える予感はありました。
ただ、リストの中に、やはり、ご縁はなし。
同時並行で、ネット上でも、軽井沢物件を
探り続けていたものの、2003年当時の
不動産ネット情報は、正直、まだまだでした。
ましてや、軽井沢を含め、地方の土地情報なんて、
かなりザックリしたものだったんですよね。
そんなネット情報を眺めていたとき、
アンテナに引っかかった氣になる物件情報が
1件ありました。
とはいえ、物件情報は最低限のもので、
添付の画像も、特に見栄えのよい土地という
感じではありませんでした。
おそらく、土地探しをはじめた頃ならば、
ピックアップできなかったかもしれません。
物件掲載会社は、大同興業(株)。
自作の不動産会社チェックリスト1位の会社
だったのでした。
5軒目の不動産会社訪問
大同興業
2003年8月5日(火)、
不動産会社チェックリスト1位の
不動産会社 大同興業(株)を訪問。
これまでの4回と違うのは、
でした。結末は、急に訪れるものですね。
大同興業(株)は、昭和37年創業の
老舗不動産会社。当時ですでに、
創業40周年の不動産会社で、
地元情報を多く抱えていました。
わたしが作った不動産会社チェックリストの
宅建業免許(更新回数)でも、老舗なので、
群を抜いていました。実績と信頼性が高い
不動産会社として、最後の切り札と
考えていた会社と、こうして出会うことになり、
正直、運命を感じました。
追分物件(唄坂)
今回も、車で、物件を案内してもらうまでは
これまで4回といっしょでしたけど、
ご案内いただいたのは、ネットで見た物件のみ。
追分物件(唄坂)に到着すると、
じっくり時間をかけて、現地調査したのでした。
当時のこの土地は、木や下草も生えていて、
接道からも1メートル以上高いので、
どこから入ったらいいのかさえわかりにくい
状態で、長~く売れ残っていた物件のようでした。
まとめ:【体験談】軽井沢移住への道 土地探し編(5)5軒目の不動産会社訪問~失敗や後悔しないために知っておきたいこと
【おすすめ】軽井沢移住して家づくり わたしのバイブル
- 2002年10月
⇒地元不動産会社さんを訪問し、はじめての軽井沢土地探し - 2003年9月
⇒地元不動産会社さん仲介で、軽井沢に土地を購入 - 2003年11月
⇒地元の設計士さんと設計監理契約 - 2004年2月
⇒地元工務店さんと建物建築請負契約 - 2004年3月
⇒着工 - 2004年9月
⇒完成・引渡
2003年1月、青山ブックセンターで、
この本と出会い、購入。
軽井沢に移住して家づくりしていく上で、
バイブル的存在になってくれました。
5度目の軽井沢土地探しの成果
我が家の土地探し期間は、
2002年10月~2003年8月。
2003年6~7月、初夏。
3度目の土地探しでは、交渉決裂。
4度目の土地探しでは、出会いもご縁もなし。
でも、この思い通りにいかない経験を経て
いなければ、この土地には出会えていなかった
のかもしれませんね。
焦っても仕方ないのが土地探し。
焦らず、諦めずに、臨んでいると、
突然、ご縁をいただけることも
あるから、土地探しはやめられません。
これまでの土地探しの途中で、
軽井沢駅方面から18号を追分で左折し、
林を抜けながら、信濃追分駅方面に
車で坂を下っていくとき、
『おそらく、この辺に住むことになるのだな~』
というインスピレーションを感じてましたけど、
直感って、やっぱりすごいですね。
軽井沢移住してから今までの経過、結果を、
このブログに発表することで、
- 信州移住に関心がある方のために、
- 軽井沢移住に興味のある方のために、
- そして、自分と家族のために、
何かお役に立てればうれしいです。
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