【体験談】イキメンも影響を受けたF1 ヨーロッパ一人旅~モナコGP1990

イキメン
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こんにちは。

カントリージェントルマン鴨志田です。

2004年、東京井の頭から

軽井沢追分へ移住しました。

2009年4月、こどもたちが小学生の頃、

わたしが、追分こども会を立ち上げました。

同時に、地域で子育てを盛り上げるイキメン

増えていったらいいな~と思い、

活動してきましたよ。

今週末、軽井沢では、恒例のタイムラリーイベント

GiRO di Karuizawa(ジーロ・デ・軽井沢)。

そして、ヨーロッパでは、F1モナコGP。

1990年、ヨーロッパ一人旅をしながら、

モナコまで観戦に行ったのが、

もう34年前になるんですね。

時の経つのはほんとに早いです。

ヨーロッパ一人旅やF1モナコGPからも

かなりの影響を受けてきたわたし。

久しぶりに懐かしくなって、

昔のブログ記事を読み返したくなりました。

ヨーロッパ一人旅って

どんな感じだったの?

モナコGP1990
どんな体験をしたの?

そんな疑問・質問、よくわかります。

この記事を読むと、
●ヨーロッパ一人旅~1990.5 モナコGP
がわかります。

そこで、まずは、結論から。

  • モナコGP予選1日目
  • モナコGPコース散策
  • モナコGP予選2日目
  • モナコGP決勝
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ヨーロッパ一人旅~1990.5 モナコGP

地下室で荷物を整理していると、

1冊の手帳を見つけました。

懐かしい・・・。

この黒い小さな手帳。わたしが、大学時代、

ヨーロッパ一人旅をしたとき、

共に旅をし、思ったこと、感じたことを

綴ったメモ帳なのでした。

1990年5月21日から6月19日まで、

わたしは、大学を積極的にさぼり、

ヨーロッパへ旅立ちました。

考えてみると、それは、わたしにとって、

はじめての海外旅行。はじめての飛行機の旅。

にもかかわらず、事前に用意したのは、

  • 往復の格安エア・チケット
  • ユーレイルパス
  • 10万円分のトラベラーズチェック(アメックス)だけ

むこうに着いてから何とかするさ。

という具合。今思うと、無茶苦茶です。

というわけで、行き先もあまり決めずに

スタートした放浪の旅だったんですけど、

一応、わたしにもプランがいくつかありました。

  • 東西ドイツが統一される前のベルリンを、この目で見ておきたい
  • F1モナコGPを、この目で見たい
  • ワールドカップ・イタリア大会を、直に体験したい

でも、1番大きかったプランというか目的は、

自分の力を試すこと、

1人で何ができるのか、

そもそも自分は何者なのか、

を知ることだったんだと思います。

振り返ると、自分で言うのも何ですけど、

学生時代、どちらかと言うと、

『いい子・優等生』タイプだった自分。

その殻を破るために、旅をして、

自分探しをしてみたいと思ったのでしょう。

まあ、実際は、そんなにかっこいいものでは

なかったんですけど。でも、

今のわたしを支えているもの、

原点がここにある、それは確かなことです。

1990.5.24(木)モナコGP予選1日目

いよいよ、ヨーロッパ列車の旅に出たものの、

実は、これが、わたしにとっての、

はじめての夜行列車の旅。

コートダジュールに向う列車は、

とても混んでいて、しかも、

客室は、不慣れなコンパートメント型。

どうやら予約席というものがあるようだけれど、

よくわからず、それでも、何とか1席を

見つけることができたのはラッキーでした。

眠りから目覚めると、8人席の

コンパートメントは未だ満室。

見知らぬフランス人の男女が、

いちゃついている物音で起こされたんですけど、

もう夜が明けていました。

9時も過ぎると、ようやく

モナコ モンテカルロ駅に到着。

ほとんどプランのない一人旅とはいえ、

5/24(木)~5/27(日)の

モナコGPを見に行くことが、

わたしの旅の目的の1つだったので、

特別の感慨がこみ上げてきました。

F1・モナコGPを、この目で見てみたい

(1990年は、フェラーリに、

アラン・プロストとナイジェル・マンセルが

組んだ最初で最後の年でした)。これが、

ヨーロッパ一人旅のきっかけの1つでした。

当時、F1は日本でも人気があったんですけど、

わたしがF1にはまるきっかけとなったレースが、

実は、1988年モナコGP。

その頃、大学浪人をしていたわたしの夢は、

2年後に叶うのでした。

モナコに着いて、早速、宮殿側の丘に登って

街を見下ろして思ったのは、

狭いな~ こんな狭いところで、F1をやっていたのか~

ということ。そのうち、

F1マシンのエンジン音が響き始め、

狭いモナコの街に反響して、独特の雰囲気に。

予選1日目から、街中、凄い音。

特に、ラスカス、最終コーナーを抜けて、

ホームストレートを立ち上がって

シフトアップしていくエンジン音は、

鳥肌物でした。結局、予選1日目は、

マクラーレン・ホンダの2人

(セナ、ベルガー)が強く、

応援していたフェラーリはもう一声でしたけど、

フェラーリV12の音は格別で、今日は、

この音が聞けただけで大満足なのでした。

さて、はじめてのモナコGP予選1日目を

観戦し終え、ニースへ戻ることに。

物価高のモナコで宿を探すよりも、

お隣のニースで探した方がいいだろう

と思ったからです。

列車に乗って戻ったんですけど、ここで大失敗。

確か、モナコとニースの間には、

小さい駅が2~3あったかと思うんですけど、

降りる予定のニースではなく、勘違いして、

その前の小さな駅『ニース・・・』で

降りてしまったのでした(汗)。

運悪く、さびれた駅前には人影もなく、

また、暑くてのどがカラカラ。

とにかく、水を買って飲んで落ち着きたいと思い、

駅前に1軒だけあった店に入って、

水を下さい

と言うと、店の奥から、

コップに入った水を出してくれました。

よっぽど困った顔をしていたんでしょうね。

うれしかったな~。

お礼を言って、あらためて、水もGetし、

事なきを得たのでした。

以来、わたしは、飲料用ペットボトルを

常備する癖がつきました。

何とか、本物のニースに到着し、

いよいよ宿探し。ヨーロッパに渡り、

自分一人で探すのは、これがはじめて。

ニースはとてもいい街で、気に入ったものの、

F1シーズンということもあり、

ホテルがみんな満室。

それでも、何度目かのトライで、あった~。

Hotel Novelty

フロントが面白い人で、いろいろ説明を

してくれました。宿泊内容は、

シャワー付き5人部屋(F70)&朝食(F20)。

何とか、モナコGP開催中の

5/24~27の予約に成功。助かった~。

同室は、アメリカ人2名、

フランス人1名、アジア系1名。

やっとリラックスして、海まで散歩に。

コートダジュールの海は素敵で、

エメラルドグリーンが美しい。

浜は砂浜ではなくて砂利でした。

こうして、南フランスでの長~い1日は、

過ぎていったのでした。

1990.5.25(金)モナコGPコース散策

ニースの安ホテルで目覚めた朝。

前の晩は夜行列車で過ごしたこともあって、

熟睡しました。清々しい南仏の朝です。

Hotel Noveltyの窓を上げて、

朝の街を見下ろすと、路上駐車の

車と車の間隔がすごく狭いことにびっくり。

どうやって路駐の列から抜け出すのかな~

としばらく観察していると、

前にゴツン、後ろにゴツン、

とやりながら、出て行くのでした。

日本ならば、車をこすっただけでも

トラブルになりそうですけど、

なるほど、チェックしてみると、

バンパーがへこんでいる車は、

めちゃめちゃ多い。

車も所詮は移動するための道具と考え、

バンパーはぶつけても問題ない場所、

縦列駐車の際にぶつけられたとしても、

基本的に文句は言わないとのこと。

国が変われば、文化や常識が違うのは当然。

バンパーの多少の傷やへこみを気にして

修理を行う日本の方が、

よくよく考えてみると、

変わっているのかもしれないと思いました。

朝食をとって、朝の散歩に出ると、

5月でも、南仏はもう夏。

ニースの海と砂利浜を眺めながらの散歩は、

気持ちがいい~。海パンを持ってくるんでした。

さて、今日は予選がないものの、モナコへ。

ヨーロッパ一人旅に出て、

少し落ち着いてきたので、

日本の友人に手紙を書きたくなりました。

どこに手紙を出そうかな?

今日のところは、家族へ。

そして、友人6名へ。

ポストカードをGetした後、

海外ではじめて切手を買うために、

モナコの郵便局へ。

日本まで3.9Fとのことでした。

ところで、今日、モナコに赴いた目的は、

モナコの街を散策してみることでした。

昨日は、予選1日目の観戦で、

そんな余裕はありませんでしたから。

狭い街の中を、いろいろ探検してみたんですけど、

ふと見ると、状況がよくわからないものの、

どうやらレースコースが歩行者天国状態に

なっているではありませえんか。これ幸い。

そこで、お言葉に甘えて、

憧れのモナコGPコースの道の真ん中を、

歩いてみました。

●ストレート
   ↓
●第1カーブ
   ↓
 けっこう上り坂
   ↓
●カジノ前、Hotel de Paris
   ↓
 すごい下り坂
   ↓
●ミラボーコーナー
   ↓
●ステーションヘアピン
   ↓
 ここを歩けて感動
   ↓
●ポルティエコーナー
   ↓
 ここでセナが・・・
   ↓
●トンネル
   ↓
 地中海がきれい、エメラルドグリーン
   ↓
●シケイン
   ↓
 昔は地中海へ突っ込むマシンもあったとか
   ↓
●プール前
   ↓
 とにかく狭い
   ↓
●ラスカスコーナー
   ↓
 けっこうヘアピンカーブ
   ↓
●最終コーナー

普段は、公道で、普通に車が走っている

コースとはいえ、まさかモナコGPコースの

道の真ん中を散策できるとは

思っていなかったので、かなり興奮しながら、

気分よく歩いたのを、今でも覚えています。

それにしても、こんなに狭くて

曲がりくねっていて、高低差もあって、

トンネルまである市街地コースを、

よくもF1マシーンが走るものだと、

F1ドライバーのテクニックの見事さに、

ちょっとあきれました。

モナコGPコース散策に大満足して、

ニースのホテルへ。

今日は、同室のメンバーも変わり、

その中には、日本人もいました。

フランス留学中の鎌田と、ハワイ留学中の上野。

その後、街の中で、辻田らと会い、

夕食を共にしました。辻田は、高校卒業後、

日産、フジカラーに勤め、退職して旅に出て、

モナコへやってきたそうです。

同国人とだけたむろしているのは

好みではありませんけど、

旅先での日本人との出会いは、

情報交換ができるだけでなく、

なかなかいいものです。

夕食後、海外に来てはじめて、

スーパーでの買い出しを経験。

その後、どこを旅しても、

地元スーパーでの買い出しは、

貧乏旅行の基本になっていきます。

ホテルに戻って、日本の家族、

友人への手紙を書き終えました。

全部で7枚。明日、出そうと思います。

そう言えば、明日は、22歳の誕生日!

1990.5.26(土)モナコGP予選2日目

今日は、22歳の誕生日!

自分の誕生日を海外で迎えるのは、

もちろん、はじめて。

南仏で過ごす誕生日もなかなかいいものですね。

さて、予選2日目。

今日で、決勝のスタートグリッドが決まります。

もちろん、モナコへ。

駅を出て、予選1日目に観戦した場所へ

赴いてみると、む、む、む。

予選1日目はフリーで見られた場所

(宮殿側の丘)が、予選2日目は、

F100になっていたのでした。

いくら市街地コースだからといって、

世界有数のショービジネスF1を

なめちゃいけませんね。

結局、F100でチケットをGetして、

宮殿側の丘で観戦することにしました。

予選2日目が、F100。

明日の決勝は、F150のようです。

正直、貧乏旅行者としては、ツライです。

予選最終結果は

1位 A.セナ
<マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
2位 A.プロスト
<フェラーリ 641 / フェラーリ V12>
3位 J.アレジ
<ティレル 019 / フォード V8>
4位 R.パトレーゼ
<ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
5位 G.ベルガー
<マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
6位 T.ブーツェン
<ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
7位 N.マンセル
<フェラーリ 641 / フェラーリ V12>

応援していたフェラーリ勢は、

プロストが2位につけて、まずまず。

モナコでも、フランス人のプロストの

人気は凄いです。独立国とはいえ、

ここは、ほとんどフランスですからね。

そして、イタリア系フランス人の

J.アレジの人気も急上昇。

予選3位につけただけでなく、

アグレッシブな走りで観衆を魅了していました。

モナコGP予選2日目を観戦し終え、

ニースへ戻ってみると、

のどが痛いことに気づきました。

タバコと車の排ガスで、

のどを痛めてしまったんですね。

日本人と比べて、ヨーロッパの人は、

個々に、強い体臭を持っている感じがします。

それは、タバコのニオイだったり、

強い香水の香りだったり、とにかく凄い。

結構、ぎゅーぎゅーの状態で、

予選を観戦していたのでよ~くわかりました。

のどの渇きを癒しに、スーパーに

ビールを買いに行きました。

ビールはF5。でも、そこには、

冷えているものがありません。

スーパーの中をうろうろしてみると、

端の方に、冷えたビールが置いてあり、F10。

こちらでは、冷やすだけで高くなるんですね。

「冷やす」というサービスを付けて売るのか、

「冷やす」というサービスを付けずに

安く売るのか、売り方・買い方にも

いろいろ選択肢があることを学びました。

結局、その場では、F10払って、

冷えたビールを飲みました。

こちらでは、自販機もほとんどないですね。

裏を返せば、日本があり過ぎなのかもしれません。

てなわけで、22歳の誕生日は、予選の興奮と、

のどの痛みとともに、過ぎていったのでした。

1990.5.27(日)モナコGP決勝

いよいよ、モナコGP決勝。

朝8:30にモナコに着くと、

狭い街は、もう、人でいっぱい。

駅を出て、足早に、昨日、目をつけておいた

場所(宮殿側の丘)へ行くと、

こちらも、人でいっぱい。

いくら市街地コースだからといって、

世界有数のショービジネスF1を

なめちゃいけませんね。それでも、

でかい体の外国人観戦客の群れを

かき分けかき分け、何とか、

宮殿側の丘で観戦に漕ぎつけました。

予選1日目がフリー。予選2日目が、F100。

そして、今日の決勝は、F150。

正直、貧乏旅行者としては、ツライです。

昨日は、はじめて海外で迎える

22歳の誕生日だったんですけど、

タバコと車の排ガスで、のどを痛め、

今朝起きると、カゼをひいて発熱。

でも、まさか、夢にまで見た

モナコGP決勝を見逃すわけにはいきません。

そこで、秘密の薬を試してみました。

秘密の薬といっても、

別に怪しいものではありません。

その筋の友人から、こんなときのために

譲り受けておいた抗生物質の出番なのでした

(ちょっと怪しいかな)。

さて、レースですが、スタートしてまもなく、

ミラボーコーナーで、プロストとベルガーが

クラッシュした影響で、スタートが2度も

見れるラッキーな序盤となりました。

が、その後は、リタイヤが続出する

厳しいレース展開。

なんと、完走がたったの7台。

応援していたフェラーリも、

残念なリタイヤに終わりました。

決勝最終結果は

1位 A.セナ
<マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
2位 J.アレジ
<ティレル 019 / フォード V8>
3位 G.ベルガー
<マクラーレン MP4/5B / ホンダ V10>
4位 T.ブーツェン
<ウィリアムズ FW13B / ルノー V10>
5位 A.カフィ
<アロウズA11B / フォード V8>
6位 E.ベルナール
<ローラ 90 / ランボルギーニ V12
7位 G.フォイテク
<オニクス ORE-2 / フォード V8>

結局、A.セナが、ポール・トゥ・フィニッシュ。

わたしにとっては、レース結果は

期待はずれだったんですけど、

市街地コースのおいしいところは、ここから。

レース後、コースやピットには、

観戦客が自由に出入り。

これが、公認なのかどうかは

わたしにはわからなかったんですけど、

とにかく、ピットの奥の奥まで、

行けちゃいました。というわけで、

わたしは、お目当てのフェラーリの

ピットを中心にうろうろしていたんですけど、

突然、すぐそばを、

ウィナーのセナが通り過ぎて行きました。

その後、マンセルが、

自分のスクーターに乗って出て行ったり、

鈴木亜久里を間近で見たり・・・。

その後、しばらく、フェラーリ・ピットで

粘っていると、プロストが登場。

ファンに囲まれるプロスト。

わたしも、その1人。

ファンが多くて、もみくちゃとなり、

彼のホンダ製スクーターが倒れたりともう大変。

そんな満員電車状態の中、

プロストを撮った1枚は、

わたしのお宝写真となりました

(接近しすぎですけど)。

プロストは背が小さかったですけど、

風格がありました。

こうして、夢のモナコ・ウィークは、

興奮しつつ、終わりを告げたのでした。

まとめ:【体験談】イキメンも影響を受けたF1 ヨーロッパ一人旅~モナコGP1990

  • モナコGP予選1日目
  • モナコGPコース散策
  • モナコGP予選2日目
  • モナコGP決勝

軽井沢でのイキメンの活動など、

軽井沢移住後のわたしに多大な影響を

与えてくれたヨーロッパ一人旅、

そして、F1モナコGP。

F1は、まだ若かったわたしに、

いろいろなことをおしえてくれました。

今でもF1を楽しんでますけど、

わたしも、刺激を受けつつ、

一歩一歩、イキメンへの道を

これからも歩んでいきますよ。

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