【体験談】イキメンも影響を受けたヨーロッパ一人旅~はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO

イキメン
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こんにちは。

カントリージェントルマン鴨志田です。

2004年、東京井の頭から

軽井沢追分へ移住しました。

2009年4月、こどもたちが小学生の頃、

わたしが、追分こども会を立ち上げました。

同時に、地域で子育てを盛り上げるイキメン

増えていったらいいな~と思い、

活動してきました。

そんなわたしは、1990年、大学生のとき、

1ヶ月間のヨーロッパ一人旅に出たんですけど、

もう34年前になるんですね。

時の経つのはほんとに早いです。

ヨーロッパ一人旅の体験からも、

かなりの影響を受けてきたわたし。

久しぶりに懐かしくなって、

昔のブログ記事を読み返したくなりました。

ヨーロッパ一人旅って
どんな体験をしたの?

そんな疑問・質問、よくわかります。

この記事を読むと、
●ヨーロッパ一人旅~1990.6.11 はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO
がわかります。

そこで、まずは、結論から。

  • ヨーロッパ一人旅(1990.5/21~6/19)
  • 今のわたしを支えているもの、原点がここにあります
  • 1990.6.11 はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO 『』

一期一会の思い出の旅フォト
SNSに載せたいし…

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ヨーロッパ一人旅~はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO

地下室で荷物を整理していると、

1冊の手帳を見つけました。

懐かしい・・・。

この黒い小さな手帳。わたしが、大学時代、

ヨーロッパ一人旅をしたとき、

共に旅をし、思ったこと、感じたことを

綴ったメモ帳なのでした。

1990年5月21日から6月19日まで、

わたしは、大学を積極的にさぼり、

ヨーロッパへ旅立ちました。

考えてみると、それは、わたしにとって、

はじめての海外旅行はじめての飛行機の旅

にもかかわらず、事前に用意したのは、

  • 往復の格安エア・チケット
  • ユーレイルパス
  • 10万円分のトラベラーズチェック(アメックス)だけ

むこうに着いてから何とかするさ。

という具合。今思うと、無茶苦茶です。

というわけで、行き先もあまり決めずに

スタートした放浪の旅だったんですけど、

一応、わたしにもプランがいくつかありました。

  • 東西ドイツが統一される前のベルリンを、この目で見ておきたい
  • F1モナコGPを、この目で見たい
  • ワールドカップ・イタリア大会を、直に体験したい

でも、1番大きかったプランというか目的は、

自分の力を試すこと、

1人で何ができるのか

そもそも自分は何者なのか

を知ることだったんだと思います。

振り返ると、自分で言うのも何ですけど、

学生時代、どちらかと言うと、

『いい子・優等生』タイプだった自分。

その殻を破るために、旅をして、

自分探しをしてみたいと思ったのでしょう。

まあ、実際は、そんなにかっこいいものでは

なかったんですけど。でも、

今のわたしを支えているもの、

原点がここにある、それは確かなことです。

1990.6.11(月)はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO

ウィーンの4日間もあっという間に過ぎ、

満喫したので、そろそろ別の国へ。

ここも、ずいぶん前から行ってみたかった国。

イタリアへ旅してみたいと思います。

オーストリア・ウィーンから

イタリアへは、アルプス越え。

ところが・・・

移動中の夜行列車のコンパートメント、

空調が壊れていて、めちゃめちゃ寒い!

そんなわけで、凍えながらのアルプス越え

となってしまいました。

あ~、寒かった。

というわけで、待ち遠しかった

まぶしい朝日を感じながら、

到着しました、ヴェネツィア

いや~、本当に水の都。

車が本当に1台も走っていないんですね。

まずは、あらためて、びっくりしました。

ヴェネツィアで列車の乗り換えに

2時間くらい余裕があったので、両替と朝食。

両替の列に並んでいたんですけど、

窓口の仕事がとにかく遅い。

さすがは、イタリア・・・!?
だが、それがいい

想像していた以上に、

両替に時間をとられてしまいました。

というわけで、残念ながら、

ヴェネツィア散歩はおあずけ。

朝食も、美味しいピッツァではなく、

駅前の雑貨屋で買ったピザ風パンで

軽い朝食を済ませただけとなりました。

列車の旅に戻り、昼過ぎに、ミラノ到着。

かなり暑く感じました。ちょっと舞い上がり気味。

これまでは勝手気ままの一人旅。

もっとも、ここ、ミラノだけには、

訪ねる予定の方がいました。

当時、中央大学でお世話になっていた

教授の友人・梶村さん(日本人)。

イタリア人の女性と結婚して、ミラノ郊外に住んでいるので、手紙を書いておくから、訪ねてみるといい・・・。

というお話をいただいていたのです。

そんなわけで、梶村さん宅の住所は

伺ってはいたものの、そこまで、

どうやって行けばいいのか・・・?

まずは、ミラノ駅の【i】を訪ねてみました。

地図で確認してみると、結構、遠いことが判明。

歩いて行ける距離ではなかったので、

確か、地下鉄かバスを利用したと思うんですけど、

ちょっと記憶が曖昧です。

めざす梶村さん宅の情報を仕入れたので、

昼過ぎということもあり、

まずは、腹ごしらえをすることに。

駅前にマクドナルドを見つけ、入店。

あとで聞いた話しによると、当時、

イタリアは外資参入が厳しく、

当時、マック1号店だったらしいです。

確か、ビックマックをオーダーしたら、

通常のソースとケチャップの2種類がついてきて

好きな方を自分で間にはさんで

食べる方式だったように記憶してます。

ポテトの営業もあり、買わされちゃいました。

ヨーロッパに来て、

日本でお馴染みのポテト営業ははじめてでした。

その後、苦労して、何とか、梶村さん宅に到着。

到着したとき、梶村さんは、まだ仕事から

戻っておらず、応対してくれたのは、

おじいちゃん、おばあちゃん。

しかも、日本語はもちろん英語も通じません。

いつやって来るか、本当に訪ねてくるかも

わからない日本人大学生を、快く迎え入れて

くれたことに、まずは、感謝です。

ちょうど、イタリア・ワールドカップの真っ最中。

おじいちゃんと、生ハムを食べながら、

TV観戦したのを覚えています。

夕方、梶村さんも帰宅。

はじめてお会いした梶村さんの印象は、

紹介していただいた教授と正反対の人柄で、

気さくで明るい方でした。よかった~。

ここに到着するまで、かなり疲れましたけど、

ホテルなどとは違って、こういうのも

いいものだな~と思いました。

さすがに、泊めていただくわけにはいかず、

しばしくつろいだ後、最寄りのユースホステルまで

送っていただいちゃいました。

ドミトリー、朝食付きで、15000リラ。

梶村さんの厚意に甘えさせてもらいました(感謝)。

■ルート■

◇22:30/WIEN
  ↓
◇8:30/VENEZIA

◇10:35/VENEZIA
  ↓
◇13:45/MILANO

まとめ:【体験談】イキメンも影響を受けたヨーロッパ一人旅~はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO

ヨーロッパ一人旅~はじめてのイタリア@VENEZIA , MILANO

1990年のヨーロッパ一人旅は、初めての海外・初めての飛行機という無謀ともいえる挑戦でしたが、振り返れば「今の自分を支える原点」となった大切な経験でした。

ヴェネツィアでのわずかな滞在、ミラノでの人との出会い――そのひとつひとつが、今につながる大切な原点でした。

自分は何者なのか」「自分の力でどこまでできるのか」を探し求めた日々。その経験は、イキメンとして子育てや地域活動を続ける私の土台となっています。

一期一会の出会いと学びに満ちた旅。あのときの挑戦があったからこそ、今の自分がいる――そう強く感じます。

一期一会の思い出の旅フォト
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【おすすめ】一人旅のバイブル『エグザイルス』

1990年5月21日から1ヶ月間、

わたしは大学を積極的にさぼり、

ヨーロッパへ旅立ちました。

行き先もあまり決めずにスタートした

放浪の旅だったんですけど、その際、

作家でラジオDJのロバート・ハリスからも

かなりの影響を受けてきました。

 ロバート・ハリスが、ヒッピー文化を卒業し、心の空白を感じた自分を癒すため、バリ島、さらにオーストラリアへと向かう。世界を放浪しながら、自分に辿り着くまでの心の軌跡を描いた本。

ヨーロッパ一人旅の影響

軽井沢移住、軽井沢でのイキメン活動など、

わたしに多大な影響を与えてくれた

ヨーロッパ一人旅。

この一人旅は、まだ若かったわたしに、

いろいろなことをおしえてくれました。

人生楽しんだ者勝ちが、わたしのモットー

ネガティブな考えや不安にとらわれているには、

人生は短すぎますし、短い人生数十年の中でも、

子育てに関われるのはたったの数年。

大事なのは、はじめの1歩・・・。

だから、今すぐ、やりたいことを企画して、

楽しんじゃいませんか?

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