こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなトピックスを見かけました。
リゾートの街、軽井沢。
その象徴の1つが、旧三笠ホテル。
そこで、トピックス記事、読んじゃいました。
旧三笠ホテルって、
どんなホテルなの?
その魅力は?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●旧三笠ホテルとは
●旧三笠ホテルの歴史
●旧三笠ホテルの魅力
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
トピックスによると・・・
軽井沢町「旧三笠ホテル」、指定管理者が運営へ 入館料1000円に値上げ、利用拡大へ2階にカフェ
2020年から大規模な保存修理が続く軽井沢町の重要文化財「旧三笠ホテル」について、町は再オープンを予定する来年度から、運営を指定管理者に委託し、利活用の拡大を図ることにした。かつての客室を有料の貸室とすることや、高校生以上の入館料を休館前の400円から千円に値上げすることなどを規定した条例改正案が19日の町議会9月会議で可決された。
旧三笠ホテルは1905(明治38)年建築の純西洋式木造ホテル。ホテル廃業後の80年に町に寄贈され、83年に一般公開した。劣化や破損が進み、町は保存修理を決定。修理と同時に、撤去されていた正面玄関のバルコニー付き車寄せを再現する。屋根や壁も建築当時の姿に近づける。
東隣には、エレベーターとトイレを備えた新棟を建設。ホテルと連結させ、車椅子利用者も簡単に2階に行けるようにする。2階には貸室やカフェを新たに設け、ゆったりと過ごせるようにする。
貸室料金は1日8時間以内で5万円。写真撮影のスタジオ利用などを想定するが、町教委生涯学習課の市村和則課長は「施設を傷つけなければ使い方は自由」とする。入館料は、松本市が国宝松本城の観覧料を値上げする方針であることなどを参考した。
保存修理や防災活用整備などの総事業費は24億~25億円程度になる見込みで、半分超を国と県の補助金で賄う。休館前の年間平均入場者は約7万7千人。市村課長は「民間のノウハウを生かした利用法で、いろいろな人に訪れてもらいたい」と話している。
<信濃毎日新聞から引用>
旧三笠ホテル
旧三笠ホテルは、明治から昭和にかけての
日本の近代化と軽井沢の避暑地としての
発展を象徴する歴史的建造物。
多くの著名人や政治家が訪れ、
特に夏の避暑地として知られる
軽井沢の象徴的な存在となりました。
基礎データ
- 名称
⇒旧三笠ホテル - 住所
⇒軽井沢町大字軽井沢字唐堀1339番342
アクセス
- 軽井沢駅よりタクシー約6分(3.5km)
- 上信越自動車道碓氷軽井沢ICより約19分(13.2km)
わが家も赴いた旧三笠ホテル(2009.11/3)
わたし、軽井沢移住8年目にして、
実は、はじめて赴いてみました。
実際に見て、ちょっと感動しましたよ。
さすがは、軽井沢の鹿鳴館と呼ばれた
だけのことはあります。
たまたま、軽井沢彫りの家具の展示会も
催されていて、2倍楽しめました。
旧三笠ホテルの歴史
旧三笠ホテルは、1905年に竣工、
1906年に営業を開始。
実業家の山本直良氏によって建設され、
1970年まで営業を続けました。
1980年に重要文化財に指定され、
現在は保存・活用が進められています。
- 1906年(明治39年)
営業を開始し、客室は30室、定員は40名、宿泊料は一等が12円、二等が8円、三等が5円 - 1907年(明治40年)
日本館が完成 - 1910年(明治43年)
明治43年の大水害のため流出 - 1919年(大正8年)
洋風別館が完成 - 1925年(大正14年)
経営母体が変わって(株)三笠ホテルとなり、明治屋に名義変更 - 1944年(昭和19年)
休業
軽井沢が駐日外国人の主要疎開地として指定されたことから、外務省の軽井沢出張所が設置される - 戦後
アメリカ陸軍第一騎兵師団に接収され、進駐軍の施設となる - 1952年(昭和27年)
米陸軍第八軍の使用終了後、三笠ハウスの名称で営業を再開
1970年(昭和45年)まで営業を続ける - 1972年(昭和47年)
日本長期信用銀行によって買収される - 1974年(昭和49年)
現在地の南方から70m移転
移築の折、文化庁と協議した結果、建築的価値のある本体部分を残し、食堂、調理場、浴室等は解体 - 1980年(昭和55年)
日本長期信用銀行から軽井沢町に贈与される - 1980年(昭和55年)
5月31日に「旧三笠ホテル」として国の重要文化財に指定され、保護 - 2019年(平成31年)
12月28日より耐震補強を含む大規模保存修理工事を行うため、長期休館
工事後の再開館は、2025年の夏頃を予定
旧三笠ホテルの魅力
純西洋式木造ホテル
設計は岡田時太郎、施工は地元の大工、
監督は万平ホテルの佐藤万平が担当。
日本人技術者のみによる純西洋式木造ホテル。
アメリカのスティックスタイルを採用した
ゴシック風の華麗な外観で、
扉のデザインはイギリス風、
下見板はドイツ風、用材は小瀬の
アカマツを現場で製材しました。
軽井沢の鹿鳴館
欧米人とともに、渋沢栄一、団琢磨、
住友友純、乃木希典、愛新覚羅溥儀、
近衛文麿、徳川慶久、有島武郎などの
著名人が多く宿泊し、政財界の要人が集う
社交の場となったことから、
「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれていました。
国の重要文化財に指定
旧三笠ホテルは、国際避暑地・軽井沢の雰囲気を
当時のまま今に伝える貴重な建築物です。
また、軽井沢の別荘文化や避暑地としての
歴史を物語る重要な遺構でもあります。
これらの価値が認められ、1980年5月31日、
国の重要文化財に指定されました。
この指定により、建物の保存と後世への継承が
図られることになりました。
まとめ:【軽井沢】旧三笠ホテル 2025年度から再オープン
【おすすめ】移住前後でお世話になった軽井沢ヴィネット
軽井沢移住前に出会い、購入。
軽井沢に移住して家づくりしていく上で、
いい影響を受けてきました。
軽井沢に関する知りたいことが、
かなり網羅されている一冊。
インスパイアされますね。
ちなみに、軽井沢移住後、ご縁をいただき、
軽井沢ヴィネットから取材を受けて、
わが家の記事も載せていただきました。
もちろん、移住後も、楽しめる雑誌。
おすすめします。
旧三笠ホテル 2025年度から再オープン
重要文化財・旧三笠ホテル 開館期間・入館料等のご案内(改修工事のため休館中)
旧三笠ホテルは、耐震補強を含む保存修理工事のため現在休館中です。ご不便等をおかけいたしますが、ご理解いただきますようお願いいたします。工事後の再開館は、令和7年の夏頃を予定しています。
<軽井沢の町役場オフィシャルから引用>
リゾートの街、軽井沢。
その象徴の1つが、旧三笠ホテル。
2025年夏の再開が楽しみです。
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