こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
2009年4月、こどもたちが小学生の頃、
わたしが、追分こども会を立ち上げました。
同時に、地域で子育てを盛り上げるイキメンも
増えていったらいいな~と思い、
活動してきました。
そんなわたしは、1990年、大学生のとき、
1ヶ月間のヨーロッパ一人旅に出たんですけど、
もう34年前になるんですね。
時の経つのはほんとに早いです。
ヨーロッパ一人旅の体験からも、
かなりの影響を受けてきたわたし。
久しぶりに懐かしくなって、
昔のブログ記事を読み返したくなりました。
ヨーロッパ一人旅って
どんな体験をしたの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●ヨーロッパ一人旅~1990.5.20 前夜@新宿
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ヨーロッパ一人旅~前夜@新宿
地下室で荷物を整理していると、
1冊の手帳を見つけました。
懐かしい・・・。
この黒い小さな手帳。わたしが、大学時代、
ヨーロッパ一人旅をしたとき、
共に旅をし、思ったこと、感じたことを
綴ったメモ帳なのでした。
1990年5月21日から6月19日まで、
わたしは、大学を積極的にさぼり、
ヨーロッパへ旅立ちました。
考えてみると、それは、わたしにとって、
はじめての海外旅行。はじめての飛行機の旅。
にもかかわらず、事前に用意したのは、
- 往復の格安エア・チケット
- ユーレイルパス
- 10万円分のトラベラーズチェック(アメックス)だけ
むこうに着いてから何とかするさ。
という具合。今思うと、無茶苦茶です。
というわけで、行き先もあまり決めずに
スタートした放浪の旅だったんですけど、
一応、わたしにもプランがいくつかありました。
でも、1番大きかったプランというか目的は、
自分の力を試すこと、
1人で何ができるのか、
そもそも自分は何者なのか、
を知ることだったんだと思います。
振り返ると、自分で言うのも何ですけど、
学生時代、どちらかと言うと、
『いい子・優等生』タイプだった自分。
その殻を破るために、旅をして、
自分探しをしてみたいと思ったのでしょう。
まあ、実際は、そんなにかっこいいものでは
なかったんですけど。でも、
今のわたしを支えているもの、
原点がここにある、それは確かなことです。
1990.5.20(日)前夜@新宿
大学の友人OとNが、旅立つ前夜、
歓送会をしてくれることに。
場所は、新宿の友人O宅。
そこで、川口の実家から赤羽駅まで、
今は亡き父と妹が、車で送ってくれました。
最初、赤羽駅までということだったんですけど、
どうせなら、新宿まで送ってもらえると助かるな~
というわたしの提案で、赤羽をスルー。
その後、結局、池袋駅まで送ってもらいました。
車中、どんな会話をしたのか、
詳しいことは忘れてしまいましたけど、
ちょっと言い争いになって、池袋で
降ろされたという感じだったと記憶してます。
これから、一人旅に出る心細さもあり、
ここまで来たら、目的地の新宿まで送ってくれてもいいじゃないか
と、当時は、思った覚えがありますけど、
今、振り返ると、父にも複雑な思いがあったの
かもしれないと想像したりもします。
男として、親父として、今は尊敬している父とも、
当時は、ありがちな、父と息子の対立が、
しばしばありました。
旅好きで、好奇心旺盛だった父も、
若い頃、海外一人旅という冒険は
できなかったと聞いています。
あの時、もしかすると、父に嫉妬のようなものが
あったのかもしれない?・・・
そんなことを考えつつ、今は亡き父に、
あらためて、
ありがとう
を言いたいと思います。
東大久保駅で下車して、歩いてO宅へ。
さっそく酒盛りをしながら、語り合いました。
●友人N
『大学を一月もさぼって大丈夫なの?』
彼は、まじめな性格で、やや心配性。
ちゃんと手は打ってあるよ
語学(英語とフランス語)と体育(陸上)の教授には、『ヨーロッパで自分を磨いてくるために、一月休学致します 帰国次第、また一生懸命勉強しますので、よろしくお願いします』という書面を、提出しておいたんだよ
●友人N
『でも単位危ないんじゃないの?』
それでも単位をくれない教授の授業なんて、落としてもいいさ
実際、わたしは、語学・体育で単位を
落とすことはありませんでした。
英語の教授Aなどは、
『どんどん行ってきなさい。』と
逆に応援してくれ、帰国後、授業内で、
ヨーロッパ一人旅の体験談を
スピーチさせられた程でした。
もちろん、一悶着あった教授もいましたけど。
●友人O
『でも、ホテルも目的地も決めずに、
よく行くよなあ。』
・・・
この友人Oも、かなりワイルドな奴なんですけど、
その彼にあらためて言われると、
何だか不安になってきたことを覚えています。
実は、ヨーロッパ一人旅は、大学に入る前から、
在学中にやりたいと決めていたことの1つ。
大学2年の初夏というスケジュールも、
当初からのものでした。
そのため、時間をかけて、バイトで軍資金をため、
情報収集をし、格安エアーチケット、
ユーレイルパス、トラベラーズチェックなどを
Getして、既に、入学時から旅をスタートしてきた
自分としては、これまで、あまり後ろを
振り返らずに来ていたんですね。
程よく、酔いもまわり、
みんなが寝つく中、わたしは、
なかなか寝つくことができませんでした。
静かな夜に、Oの部屋にあった、
ディスカスの水槽の音だけが、
妙に響いていました。
まとめ:【体験談】イキメンも影響を受けたヨーロッパ一人旅~前夜@新宿
【おすすめ】一人旅のバイブル『エグザイルス』
1990年5月21日から1ヶ月間、
わたしは大学を積極的にさぼり、
ヨーロッパへ旅立ちました。
行き先もあまり決めずにスタートした
放浪の旅だったんですけど、その際、
作家でラジオDJのロバート・ハリスからも
かなりの影響を受けてきました。
ロバート・ハリスが、ヒッピー文化を卒業し、心の空白を感じた自分を癒すため、バリ島、さらにオーストラリアへと向かう。世界を放浪しながら、自分に辿り着くまでの心の軌跡を描いた本。
ヨーロッパ一人旅の影響
軽井沢移住、軽井沢でのイキメン活動など、
わたしに多大な影響を与えてくれた
ヨーロッパ一人旅。
この一人旅は、まだ若かったわたしに、
いろいろなことをおしえてくれました。
人生楽しんだ者勝ちが、わたしのモットー。
ネガティブな考えや不安にとらわれているには、
人生は短すぎますし、短い人生数十年の中でも、
子育てに関われるのはたったの数年。
大事なのは、はじめの1歩・・・。
だから、今すぐ、やりたいことを企画して、
楽しんじゃいませんか?
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