こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなニュースを見かけました。
軽井沢周辺にはいろいろな魅力がありますけど、
実は、かなりの酒どころでもあるんです。
わたしも、酒呑みですので、
思わず、ニュース記事、読んじゃいました。
軽井沢でのワイン醸造の
歴史って?
軽井沢アンワイナリーって?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●軽井沢でのワイン醸造の挑戦と断念
●雨宮敬次郎と軽井沢
●軽井沢アンワイナリー
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
ニュースによると・・・
軽井沢町初のワイナリー開設 140年前断念の「夢」を継ぎ 町内でのブドウ栽培に挑戦
シードルやワインの醸造所「アンワイナリー」を小諸市で経営しているプラスフォレスト(軽井沢町)は、山梨県出身の実業家雨宮敬次郎(1846~1911年)が約140年前に挑み、断念した軽井沢町でのワイン用ブドウ栽培への挑戦を始めた。今月、同町大日向に町内初のワイン醸造所「軽井沢アンワイナリー」を開所した。当面は小諸産ブドウでワインを造り、2027年に軽井沢産での販売開始を目指す。
プラスフォレスト代表の松村清美さん(55)はアンワイナリーが手狭になったことから軽井沢町にある閉園した聖ヨゼフ保育園の建物を利用し、2カ所目のワイナリー開設を計画。開設に当たり、知り合いから雨宮の話を聞き、挑戦を引き継ぎ、町に軽井沢産ワインの歴史を刻みたいと考えた。同園は松村さん夫婦が子どもを通わせた思い出の場所でもあり活用を決めた。
9日に軽井沢アンワイナリーで開所式があり、松村さんは「地元の人や訪れた人が軽井沢を感じられるワインにしていきたい」と話した。今年4月からはワイナリー隣の畑で耐寒性、耐病性に優れた2種類のワイン用ブドウ計約140本の試験栽培を始めた。順調に育っており、今後、町内に新たな畑を借りて生産規模を拡大していく予定だ。
<信濃毎日新聞から引用>
明治時代の軽井沢でのワイン醸造 大実業家 雨宮敬次郎の夢
雨宮敬次郎
明治時代の実業家・投資家。『天下の雨敬』
『投機界の魔王』『明治の鉄道王』などの
異名をとりました。甲州商人、いわゆる
『甲州財閥』と呼ばれる集団の1人で、
『政治の伊藤博文、金の安田善次郎、
事業の雨宮敬次郎』とまで謳われました。
最も知られる功績として、現在の軽井沢の
基礎となる植林事業や、日本製粉の設立、
東京市街鉄道や大日本軌道といった
鉄道分野での事業などがあります。
軽井沢でのワイン醸造の挑戦と断念
財を築いた実業家 雨宮敬次郎は、
明治9~10年、アメリカ、ヨーロッパを外遊。
その時、アメリカで不毛の地が、開墾によって
肥沃な土地に生まれ変わる姿を見聞きし、
軽井沢に近代農場を経営するという
大志を抱きました。帰国後、碓氷新道
(現在の国道旧18号線)の南側の一帯の
官有地500町歩ほどを1町歩あたり
1円50銭程で払い下げを受け入植。
軽井沢有数の土地持ちとなりました。
1100町歩もの広大な土地に、
アメリカ式の大農園を計画。
山梨県で成功しつつあったブドウ園をつくり、
ワイン醸造を夢見ます。しかし、
北海道やドイツ、アメリカから
ブドウ種子を取り寄せ挑戦するも、
気候風土・土壌が合わずことごとく失敗。
数万円の損出を出し、断念したのでした。
その後、失敗の連続でも諦めず、
開墾不適地を中心に、落葉松の植林を開始。
所有地1000町歩余を緑化。
国の造林奨励も相まって
落葉松林は事業としても大成功。
これが、現在の緑豊かな軽井沢の礎なのです。
軽井沢アンワイナリー
アンワイナリー
2018年12月、小諸城下町の町中に
開設した都市型ワイナリー。
古民家をリノベーションして、小規模ながら
ショップと宿泊を併設しています。
ショップは週末のみの限定営業。
ワイン用ぶどうは、シャンパーニュ品種を
自社栽培しており、スパークリングワインや
ピノノワールの赤を中心に醸造しています。
軽井沢ワインプロジェクト
140年の時を越えて、軽井沢での
初のワインづくりに挑戦するプロジェクト。
軽井沢でワインぶどうを栽培し、
軽井沢産ワインをつくる取り組みなのです。
10月、軽井沢初のワイナリーを開設しました。
2024年度に予定されている軽井沢町の
千曲川ワインバレー特区連絡協議会への
正式加入と歩調を合わせ、今後、
千曲川ワインバレー広域連携の
ゲートウェイとして貢献することを
目指しているそうです。
軽井沢大日向地区にある歴史的建造物、
旧大日向教会・聖ヨゼフ保育園を再活用。
旧大日向教会・聖ヨゼフ保育園
1953年、コンラード神父と
大日向開拓団の方々が開設し、
2011年に閉園するまでに
938人の子供たちが卒園した保育園。
皇族の紀宮様が、4年間ほど毎夏、
地域の子どもたちと過ごされたとのこと。
我が家のこどもたちが小学生だった頃、
聖ヨゼフ保育園卒のこどもたちも、
同じ軽井沢西部小に入学してました。
2011年に閉園していたんですね。
まとめ:【軽井沢】アンワイナリー 軽井沢初のワイナリー開設
【おすすめ】移住前後でお世話になった軽井沢ヴィネット
軽井沢移住前に出会い、購入。
軽井沢に移住して家づくりしていく上で、
いい影響を受けてきました。
軽井沢に関する知りたいことが、
かなり網羅されている一冊。
インスパイアされますね。
ちなみに、軽井沢移住後、ご縁をいただき、
軽井沢ヴィネットから取材を受けて、
わが家の記事も載せていただきました。
もちろん、移住後も、楽しめる雑誌。
おすすめします。
アンワイナリー 軽井沢ワインプロジェクト
今や、千曲川ワインバレーの中心的存在、
ヴィラデストワイナリー。
このヴィラデストワイナリー設立時点で、
わたしも、少しだけご縁をいただきました。
2002年、ワイナリー設立のニュースと、
出資者を募っていることを知って、
少額ながら、出資させていただいたんです。
出資した当時、想像もできなかったくらい、
ヴィラデストワイナリーは大成功し、
千曲川周辺には新しいワイナリーが集積して、
おもしろいことになってきてます。
アンワイナリー 軽井沢ワインプロジェクトも、
あと10年後、20年後が楽しみですね。
コメント