こんにちは。
カントリージェントルマン鴨志田です。
2004年、東京井の頭から
軽井沢追分へ移住しました。
で、ネット上で、
こんなトピックスを見かけました。
開館以来、軽井沢安東美術館は
氣になるミュージアムの1つですので、
トピックス記事、読んじゃいました。
軽井沢安東美術館って、
どんな美術館なの?
藤田嗣治(レオナール・フジタ)って、
どんなアーティストなの?
そんな疑問・質問、よくわかります。
この記事を読むと、
●軽井沢安東美術館って、どんな美術館なのか
●藤田嗣治(レオナール・フジタ)って、どんな画家なのか
がわかります。
そこで、まずは、結論から。
トピックスによると・・・
春の特集展示「藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代」 2024.03.07~07.23
1913年、世界の舞台で闘うためにパリに渡った藤田。そこで彼が目にしたのは、自由な作風を謳歌する画家たちの姿でした。・・・
渡仏後、藤田はピカソやアンリ・ルソー、モディリアーニの作風にヒントを得ながら、さまざまなモティーフに挑戦、そして1917年、シェロン画廊と契約を交わし、世に出るチャンスを掴みます。藤田と同じく、他の画家たちにも画商やパトロンがつき、1920年代、「エコール・ド・パリ」のメンバーは目覚ましい活動を見せるのです。・・・
本展では、藤田の名が次第に知られるようになった頃の作品、《二人の少女》(1918年)や《街はずれの門》(1918年)をはじめ、藤田を一躍有名にした「乳白色の肌」の作品の数々、それに並行して制作された油彩画などから、紆余曲折しながらも独自のスタイルの確立に邁進したエコール・ド・パリの時代の藤田の歩みを追い、彼のオリジナリティーについて考えてみたいと思います。
<TRIP KARUIZAWAから引用>
藤田嗣治
(レオナール・フジタ)
ん!聞いたことある!
と思えたのは、以前、このブログでも
紹介したロバート・ハリスのラジオで、
レオナール・フジタのストーリーを
聴いたことがあったからなんですよね。
軽井沢安東美術館って
美術館の街 軽井沢
そもそも、軽井沢には、たくさんの
ミュージアムがあって、楽しめます。
軽井沢安東美術館
2022年10/8に開館した、
軽井沢安東美術館。
日仏両国で活躍した画家、藤田嗣治
(レオナール・フジタ)の作品のみに
特化した美術館の開設は、国内で初めて。
東京の投資ファンド運営会社の会長を務める
安東泰志さんが集めた作品を収蔵・展示する
個人美術館なのです。おすすめです。
藤田嗣治(レオナール・フジタ)
ロバート・ハリスのラジオで聴いた
レオナール・フジタは、確か、
日本に馴染めず、最終的に、
フランスに帰化する道を選んだ画家として
紹介されていました。自身も日英の
クォーターであるロバート・ハリス。
『自分の故国はどこなんだろう?』
そういう異邦人特有の悩みという点で、
共感していたのを覚えてます。
- 生誕
⇒1886年11月27日 - 死没
⇒1968年1月29日(81歳没) - 国籍
⇒日本、フランス(1955年帰化) - 職業
⇒画家、彫刻家 - 学歴
⇒東京美術学校卒業
藤田嗣治の画集
藤田嗣治の著作
藤田嗣治の関連書籍
まとめ:【軽井沢ミュージアム】軽井沢安東美術館
2011年、軽井沢千住博美術館が
開館したときも、すごくワクワク感が
ありました。何度か足を運んで、
楽しませてもらってます。
もちろん、軽井沢安東美術館にも、
ワクワク感でいっぱいです。
美術館の街 軽井沢。まだまだ、
おもしろいことが待っていそうですね。
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